胡禄神社

胡禄神社
胡禄神社

上杉謙信の家臣の高田氏等が川中島の合戦に敗れ、落ちのびて開拓した地が汐入地区。このとき守護として面足尊と惶根尊を祀ったのが始まりと言われている「胡禄神社」。

明治以前では密教と習合して第六天と呼ばれていたが、1869(明治2)年の神仏分離によって「胡禄神社」と改称された。ちなみに「胡禄」という名称は胡粉(カキの貝殻を何年もかけて風化させた後に作られる、日本画の代表的な白絵具)からという説と、弓の武具の呼称からという説が有力だが、汐入は日本画の画材である“胡粉”の産地であったため、社内にその石臼が残っている。

胡禄神社
所在地:東京都荒川区南千住8-5 



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