このサイトは築地の過去・現在・未来をアーカイブする、写真家新納翔と、(株)ココロマチの協同プロジェクトです。

face新納 翔
写真家。1982年横浜生まれ。
再開発など消えゆく景色を記録し続けている。
日本の三大ドヤ街のひとつである「山谷」にて、実際に働きながら7年間写真を撮り続け、写真集に『Another Side』(Libro Arte)等がある。
国内外で個展多数。
ホームページ http://nerorism.rojo.jp/
Facebookページhttps://www.facebook.com/NiiroShoPhotography

先の話ではない、築地市場の移転事業は既に始まっている。
いつの時代も再開発というものは見えないところで着々と進んで行くものだ。
かつてあった景色は忘れられ、名残り惜しまれた声もすぐに聞かれなくなる。無形のものを楽しみ、憂う精神はいつのまにか日本人の中から消えてしまったのであろうか。

築地という街は時代と共に様々な貌を持って来た。
明治時代、築地には外国人居留地が置かれ横浜と並んでハイカラな街であった。当時の面影は東京大空襲を免れたおかげで、市場周辺に見ることができる。

築地が現在のように「市場の街」になったのは、関東大震災による都市再生計画に期を発する。
江戸時代からの歴史と伝統を引き継いで来た日本橋の魚河岸を移転させることはまさに国家的プロジェクトであった。
新都市東京にふさわしい復興のシンボルとして、1933年に開場して以来、我々の食をずっと支えて、中央卸売市場として大切な役割を果たして来たのだ。
築地市場の400メートルにわたりカーブをえがく独特の形は、当時としては世界に類を見ない鉄骨建築物であった。

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市場で話を聞くに、皆が皆移転を快く受け入れているわけではないようだ。
移転を期に店じまいをする人や、仕方ないと割り切るしかないと語る人もいた。

老朽化が進み様々な問題が山積する築地市場に移転という選択肢しかなかったのかは誰もが思うところであろうが、一つ言えることは、80年に渡って築地にあった市場を見る事ができるのは今が最後だということだ。

消えてゼロになってしまうこの景色、せめてでも写真として保存しておくことが、私が次世代へ残すことができる唯一の仕事である。

このウェブサイトが、築地のアーカイブとして価値あるものになる時、現在の築地はどのような街になっているのであろうか、誰も想像できないことであろう。