忠臣蔵ゆかりの四十七士を祀る/大石神社 進藤大長さん


京都市山科区にある「大石神社」は、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)ら「赤穂浪士」と呼ばれる四十七士を祀る神社。1701(元禄14)年、赤穂藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が江戸城内松の廊下で吉良上野介(きらこうずけのすけ)に斬りかかったとして、浅野は即日切腹を命じられる。これをきっかけに赤穂藩は取り潰しとなり、幕府に赤穂城も明け渡さざるを得なくなった。一方的ともいえるこれらの処罰に反発した浅野家家臣ら47名が同年12月14日に「吉良邸」に押し入り、上野介を殺害して主君の仇を討った。この事件は「忠臣蔵」と呼ばれ、現代においてもなお語り継がれている。

当時、城代家老だった大石内蔵助が、吉良邸討ち入りまで密かに身を隠し、同志の会合を開いたのがここ山科であった。この地で生まれ育った若き宮司である進藤大長さんに、「大石神社」のこと、山科の魅力、これからの山科についてお話を伺った。

大石神社
大石神社

――まずは「大石神社」の歴史を教えてください。

進藤さん:「赤穂浪士」の歴史の舞台になっているのは、赤穂と江戸が有名です。「ゆかりの地である山科に彼らを祀るものが何もないのはおかしい」と声を上げた浪曲師の吉田大和之丞 (奈良丸)や京都府知事ら多くの方々のご尽力で、大石内蔵助公をご祭神とした大石神社が1935(昭和10)年に創建されました。

――古くから受け継がれてきた文化や行事はどのようなものがありますか。

進藤さん:「忠臣蔵」はこれまで歌舞伎や映画、舞台などで何度も取り上げられています。それでも最近は映像化される機会も少なくなり、若い人は「忠臣蔵」と聞いても何があったのかきちんと答えられない人も多くなってきました。「大石神社」では、討ち入りがあった12月14日に毎年「義士祭」を開催しています。

忠臣蔵宝物殿には大石内蔵助公のゆかりのものが展示
忠臣蔵宝物殿には大石内蔵助公のゆかりのものが展示

――「義士祭」の内容について教えてください。

進藤さん:13学区の自治会と山科区からなる「山科義士祭実行委員会」が中心となって運営しています。それぞれの学区から選ばれた四十七士が義士の衣装を着て山科を行進し、最終目的地の「大石神社」まで練り歩きます。「義士行列」は1974(昭和49)年から、山科の村興しのような意味合いで始まりました。「東映太秦映画村」に協力をお願いして、衣装なども貸していただいています。また、山科の各所で「太秦映画村」の方にお芝居をしていただくなど、盛りだくさんな内容です。

本団の「義士行列」の後ろに、「寺西幼稚園」の園児による四十七士も行列に参加するんですよ。12月の寒い時期なので、「忠臣蔵」の討ち入りさながらに雪が舞うこともあり、藁草履での長時間の行進は苦労もあります。まるで本当の討ち入りを見ているようで、風情があるのですが、行列に参加する人は大変です(苦笑)。私の祖父も大石内蔵助役で歩いたことがあるんですよ。このあたりには、「岩屋寺」という古いお寺と「山科神社」があり、当時は大石内蔵助公がお参りをしていたといわれています。「義士祭」でもそちらにお参りをしてから、「大石神社」の本殿に戻って勝ちどきを上げ、参拝します。

2007(平成19)年に来たというミニホースの「花子」
2007(平成19)年に来たというミニホースの「花子」

――「こども歌舞伎」の公演も行っているそうですね。

進藤さん:「山科こども歌舞伎」は、歌舞伎好きだった先代が始めたものです。2004(平成16)年頃に「こども義士行列」に参加している「寺西幼稚園」に声をかけさせていただいて、最初はほんの少人数からスタートしました。その後、「こども歌舞伎塾」という独立した団体を発足し、そちらを中心に活動を続けていました。2016(平成28)年には赤穂での公演を実現し、山科区制40周年記念事業でも、「仮名手本忠臣蔵」の口上を述べさせていただきました。今も”公演をしてほしい”というお声をけていただくことがあるのですが、「こども歌舞伎」に参加していた子どもたちが大きくなったことから、継続するのが難しく、現在は止むなくお休みしている状況です。「忠臣蔵」を多くの人に知っていただくためには、「こども歌舞伎」などの催しも必要だと思っているので、ぜひ復活させたいですね。

――大石内蔵助公をご祭神とする意味についてどのように考えられていますか。

進藤さん:所説ありますが、「忠義に厚い家臣、内蔵助」から「忠臣蔵」と呼ばれるようになったといわれています。今の若い人たちには、例えば会社のために頑張ろうといった意識は希薄になっていると思います。昨今では、この「忠臣蔵」は敵討ちの話といわれ、批判されることもあるようですが、日本人ならやはり、お世話になった恩を返すという気持ちを持ってほしいという思いはありますね。

春になると多くの人が花見に訪れる「大石桜」
春になると多くの人が花見に訪れる「大石桜」

――そのほか、「大石神社」ならではの行事はありますか。

進藤さん:「大石神社」には樹高9.5メートルの御神木、「大石桜」と呼ばれるしだれ桜があり、「山科区民誇りの木」にも指定されています。毎年4月の第1日曜日には「さくら祭」が催され、満開の桜の下、大勢の参拝者で賑わいます。京都市内には桜の季節になると多くの方が集まる催しが古くからありますが、山科には、以前、そういった祭がありませんでした。私が子どもの頃に「大石神社」の後援会が中心となって、境内に露店などが出るようになり、この「さくら祭」が始まりました。
「大石桜」が咲く時期は、一般的なソメイヨシノより1~2週間開花が早いんです。今年も3月末には満開になっていたこともあり、多くの観光客や地元の方に来ていただきました。また、縁あって「武者小路千家」の方にご協力いただき、野点席も用意しています。特に今年は、外国からの観光客が多かったですね。駐車場がいっぱいになるほどたくさんの方に訪れていただけるようになり、うれしい限りです。
そのほか、6月30日には、「夏越の祓」というお祓いを行いました。ただ、これらはどこの神社でも催されている行事なので、今後、何か「大石神社」ならではのものを考えたいと思っています。

――山科を盛り上げるために、地域の活性化に貢献していらっしゃいますね。

進藤さん:以前はこのあたりに行事や娯楽と呼べるようなものが何もなかったんです。何か地元に貢献できることはないかという考えから、「義士祭」や「さくら祭」を開催するようになりました。また、令和最初の国宝が山科から誕生するといわれていたり、「稲荷山トンネル」が4月1日から無料になったり、最近は山科全体が盛り上がりを見せているのがうれしいです。

――「大石神社」も加盟されている、山科の街を支える「山科経済同友会」の活動について教えてください。

進藤さん:「山科経済同友会」は今年で50周年になります。「山科検定」を作ったり、少年サッカー大会や区民まつりなど、山科区の数多くの行事に参加したりと精力的に活動している団体です。「大石神社」の「義士祭」にも関わりが深いですね。

山科川と安祥寺川が交わる勧修寺公園
山科川と安祥寺川が交わる勧修寺公園

――最後に山科区の街の魅力について教えてください。

進藤さん:「稲荷山トンネル」の無料化の工事完了したことで交通の便がとても良くなり、「京都」駅まで10分もかからないのが便利ですね。また、地域の力の強さもこの街の魅力です。最近は、外から山科に移り住む若い人も多くなり、ほかの地域と違って子どもの数も減っていません。私が好きな場所は、山科川と安祥寺川が交わるところにある「勧修寺公園」です。川沿いの道を子どもと一緒にサイクリングすることもあります。あとは少し北のほうになりますが、桜の時期の「琵琶湖疎水」は美しいですね。山科は開発が急激に進んでいるエリアですので、このタイミングで広報活動にも力を入れて、魅力を発信していきたいですね。

大石神社
大石神社

大石神社

宮司 進藤大長さん
所在地:京都府京都市山科区西野山桜ノ馬場町116
電話番号:075-581-5645
URL:http://www.ooishijinja.com/
※この情報は2019(令和元)年7月時点のものです。

忠臣蔵ゆかりの四十七士を祀る/大石神社 進藤大長さん
所在地:京都府京都市山科区西野山桜ノ馬場町116 
電話番号:075-581-5645
http://www.ooishijinja.com/