氏神、熊野九十九王子として阿倍野の街を見守り続る/阿倍王子神社(大阪府)
海に向かって埋立地が広がる大阪市では、その昔、阿倍野のすぐ東側には海岸線が広がり、熊野街道も海岸線沿いの街道であったといいます。熊野信仰とも密接な関係があり、奇跡的に大戦時の空襲による影響を免れた、大阪で唯一の旧地に現存する王子社『阿倍王子神社』(あべおうじじんじゃ)。今回は、宮司を務められている長谷川裕高氏に、神社と阿倍野の街の歴史と魅力を伺いました。
1700年の長きにわたり阿倍野の街を見守る
――まず『阿倍王子神社』の由来や歴史について教えてください。
長谷川さん:当神社に伝わる縁起絵巻『摂州東成郡阿倍権現縁記(せっしゅうひがしなりぐんあべごんげんえんぎ)』によると、西暦300年頃に当神社は仁徳天皇によって創建されたとされています。
その昔、奈良の櫻井にいた阿倍という氏族が、この難波に都ができた際に移住して本拠とし、氏寺や氏神社(うじがみのやしろ)ができました。奈良時代には安倍氏の氏寺『阿倍寺』が存在しましたが、平安時代になると徐々に安倍氏が朝廷での勢力を失い『四天王寺』に併合されました。
残された安倍氏の氏神社は当時、熊野信仰が興ったこと、また当神社の西門筋に熊野街道が整備されたことから、熊野九十九王子(くまのくじゅうくおうじ)の一つとなり、阿倍野に鎮座していることから『阿倍野王子』と呼ばれました。
王子社の中には、熊野信仰の衰退と共に退転したお宮もありますが、幸い当神社は中世以降も阿倍野村の氏神として信仰され、大阪府下では唯一の旧地現存の王子社として現在に至っております。
――熊野街道や熊野信仰とはどういったものなのでしょうか。
長谷川さん:平安時代の末期ごろになると末法思想が広まり、当時の退廃的な世相に呼応するように、不安から逃れ来世に安らぎを求める浄土信仰が広まりました。現在でいう和歌山は当時、極楽浄土とみなされさまざまな信仰を集める神聖な場所として知られていました。そこにこうした信仰が広まったことで熊野信仰が盛んになり、“蟻の熊野詣”と言われるほど庶民からも親しまれました。
※蟻が列をなして参拝するさま
長谷川さん:明治頃までは現在の阿倍野筋や谷町筋はありませんでしたので、紀州街道と並んでこの熊野街道が大阪から和歌山までのメインストリートの役割を担っていたのです。
受け継がれる伝統行事、人々の想いを背に『あべのハルカス』で復活した神輿
――地域の方が参加できる行事やお祭りはどんなのものがありますか?
長谷川さん:『阿倍王子神社』としては、お正月から始まって、節分、夏祭り、秋祭りが代表的でしょうか。ここに『安倍晴明神社』の七夕のお祭りと晴明公の命日9月26日に行う『晴明大祭』が加わります。
夏祭りは特に盛大で、『夏季氏子大祭』といって7月27日の宵宮(よみや)と28日の本宮、2日間行われる阿倍野区全体をお祓いする行事になります。宵宮には阿倍野区内の各氏子区域でだんじり・枕太鼓・御神輿・獅子舞などの催しを行います。本宮には宵宮で使われた御神輿や枕太鼓などを御旅所である『文の里公園』で神霊を奉祀し、阿倍野の氏子地域を巡幸します。夜には熊野街道沿いと阿倍野筋沿いに100件を超える夜店が出店して賑わいます。
また、秋祭りの『あべの王子みのり市』は10月15日が祭典日になっているのですが、その前の土・日曜日に市が開かれます。五穀豊穣と天下泰平を願い、秋の実りに感謝するというもので、市にはオーガニックの食べ物や手作りのクラフト品が出品されるほか、日本舞踊なども披露される下町の秋祭りという風情と賑わいのある催しです。
――『安倍晴明神社』でもお祭りは行われるのですね。
長谷川さん:『安倍晴明神社』で行われる七夕のお祭りや『晴明大祭』では、敷地内の会館で講演などを行います。また、こうしたお祭りの際に、今では流通量が少なくなっている、なにわの伝統野菜である天王寺蕪(てんのうじかぶら)をお配りしてるのですが、一説によると、天王寺蕪が信州に渡って特産品の野沢菜になったとも伝えられております。このことを伝える天王寺蕪の碑が当神社の敷地内にございます。
――つい先日には『あべのハルカス』の屋上庭園で神輿巡幸が行われたという話題もありましたが。
長谷川さん:さまざまな事情があって、巡幸が中止になっていた当神社の『阿倍野神輿』が、平成29年(2017年)10月の秋祭に3度目の復活を果たしました。復活後には大阪阿倍野の新しいシンボルである『あべのハルカス』」という担ぎ手の氏子の皆さまの希望もあって、この神輿巡幸が実現しました。大阪北部地震の直後ということもありましたので、大阪の運気上昇と、これ以上被害が広がらないようにとの願いを込めてお祓いをしました。
――お参りに来られる方の変化を感じられるところはありますか?
長谷川さん:海外で御祭神である安倍晴明公にまつわる映画が公開されたこともあってか、近年、特に中国や韓国、東南アジアなどの方々も当神社に熱心にお参りにいらしています。最初は興味本位からでも外国の方に日本のことを少しでも知ってもらえる機会になるのはいいことではないかと思っております。
氏神様が見守る、下町情緒あふれる街
――子どもが育つ環境を踏まえて阿倍野はどのような魅力がある街だと思いますか?
長谷川さん:阿倍野元町は治安が良く、これは大阪の警察署内でも有名な話だそうですが、特に『大阪市立晴明丘小学校』の学校区や周辺エリアは町会の見守り活動と警察の連携が緊密なエリアでもあります。住人の方一人ひとりの安全意識が非常に高い街ですね。また、大阪の数ある文教エリアのなかでも勉強できるお子さんが多いということで、『大阪市立晴明丘小学校』に通わせるために引っ越してこられる方がいるくらいだとか。
『あべのハルカス』のある大都会の天王寺に近い一方で、少し南にきただけなのに、下町の雰囲気を残す落ち着いた住宅街が広がるのはこの辺りの魅力だと思っています。整備された公園が多いのも特徴ですね。
――最後に、これから阿倍野元町で暮らしを始める方にメッセージをお願いします。
長谷川さん:この辺りは路面電車が走り下町情緒あふれる本当にアットホームな雰囲気の街です。住民の方もより良い環境づくりに力を入れていらっしゃいますし、下町ならではの温かさもあるかと思います。『阿倍王子神社』は阿倍野区を見守ってくださる氏神様ですので、ご加護を受けながら健やかに災いなく過ごしていただけるよう、日々お祈りさせていただきたいと思います。
まとめ
いかがでしたでしょうか。宮司さんの視点ならではの、阿倍野の歴史と街の魅力。尽きぬ思いや語りつくせないほどの歴史を感じるインタビューでした。陰陽師などで有名な、安倍晴明神社との繋がり、遠く信州は長野の地では名産となっている野沢菜のエピソードなど、当時の文化や情報の発信地でもあった大阪のふところの深さを実感する逸話でもありました。『あべのハルカス』などランドマーク的な大規模商業施設の登場とともに、未来と過去が調和した阿倍野の街は魅力に溢れていますね。これから大阪府阿倍野区への転居や移住、観光をお考えの方の参考になれば幸いです。
阿倍王子神社 安倍晴明神社
宮司 長谷川 裕高さん
所在地:大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町9-4
TEL:06-6622-2565
※この情報は2018(平成30)年7月時点のものです。
氏神、熊野九十九王子として阿倍野の街を見守り続る/阿倍王子神社(大阪府)
所在地:大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町9-4
電話番号:06-6622-2565
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