自然坊
久が原の住宅地にある「自然坊(じねんぼう)」は、この界隈では知らない人はいないとんかつの名店。1993(平成5)年に開店して以来、店主・笹本伸爾氏が鍋の前に立ち続け、注文が入るごとに肉を切り分け、粉をまぶし、丁寧に揚げた逸品を提供している。一連の作業にかかる時間はおよそ20分。その時間さえも待ち遠しく過ごせる大人達のための店だ。
店主の笹本伸爾(しんじ)氏は、もともと大田区内の出身。かつてサラリーマンだった時代から、大のとんかつ好きだったという。中でも特に惚れ込んでいたのが、成城の高級邸宅街にある老舗「とんかつ椿」。ご主人は「自分もいつか、静かな住宅地でこんなとんかつ屋を持ちたい」という思いを温め、開いたのがこの店である。今では息子の彌(わたる)さんも厨房に入るようになり、初代は主にとんかつ担当、息子さんはその他の料理担当という具合に、二人三脚で店を切り盛りしている。
看板商品はもちろんとんかつ。今も昔も変わらず、「ロースかつ」と「ヒレかつ」の二枚看板で営業しており、どちらも同じくらい人気がある。昼夜どちらの時間帯も「ロースかつ定食」と「ヒレかつ定食」が人気メニューとなっているそうだ。
この店の美味しさの秘密は、こまやかな技術の積み重ねと、良い素材の積み重ね。その2点に尽きるだろう。技の細かい部分については素人目に分かるものではないが、親父さんの丁寧な仕事を見ていれば、確かな技をもって、心を込めて揚げていることは伝わってくる。江戸の職人気質そのものだ。
素材の面でも出来うる限り最上のものを追求しており、米は最高級の魚沼産コシヒカリを使い、パン粉に至っては特注してパン屋に焼いてもらった角食パンから、耳を手切りで落とし、店内で自家製している。キャベツは硬めで歯ざわりの良い「ひねキャベツ」を敢えて仕入れ、手切りで千切りに。ソースももちろん自家製で、揚げ油はサッパリと食べられるようにと、綿実油を使っている。とにかく細部まで気を遣い、コストも手間もかけながら、究極のとんかつを追求している。
肉についても然りで、初代が惚れ込んだ「群馬県産やまと豚のメス」のみに限定して使っており、他の肉は一切使わないという。歯を置くだけでさっくりと切れる柔らかな肉質、旨味のあふれる赤身、甘みのある脂。「やまと豚」の肉質はとんかつと非常に相性が良く、老若男女を問わず、誰からも愛される味わいになるのだという。
「とんかつって、一般的にはガッツリと食べる、男メシだと思われていると思いますけれど、うちはそうじゃないんです。老若男女、誰でも美味しく最後まで食べられるとんかつ。それが変わらないポリシーですね」とは二代目の言葉だ。とんかつは日本の食文化のひとつ。大衆食のひとつではなく、一品料理として堪能してほしい。そういう願いが込められているのだろう。
店内は割烹のようにきれいに、すっきりと整えられ、カウンターの中にある棚には、趣のある立派な器が並べられている。実は「自然坊」がこの名前を冠しているのには、この器が大きく関係している。
陶芸好きの方はお気づきかもしれないが、「自然坊」という名は作家さんの名前に由来している。店内にあるほとんどの食器は、唐津の陶芸家、故・中川自然坊氏の手による作品。店を立ち上げる際に、初代は自然坊氏の工房へ赴き、とんかつ用の皿を作ってもらうこと、店名に氏の名前を冠することなどの了承を得て、半年かけて焼き上げてもらったのだという。「刷毛目」と呼ばれる大胆な模様は自然坊氏ならではの作風。中でもとんかつ皿は、この店の厚切りかつを小さく見せてしまうほどの大きさで、手に持つとずしりと重い。唐津の名匠の皿で頂くとんかつは、極上この上ない。
最近は一品料理やにも力を入れ、お客さんのニーズを拾っている。昼には増えつつある女性客を意識して「おまかせランチ」という、少しずつ多種の料理を楽しめるメニューも作り、好感触を得ているそうだ。最初は敢えてとんかつをオーダーせずに、一品料理を頼みながらお酒を飲み、後半でとんかつを単品で頼むという、蕎麦屋風の食べ方も良いだろう。お酒は日本酒、焼酎、ビール、ワイン、ウイスキー、シャンパンなど、比較的幅広く揃えられているので、酒飲みでも十分に満足できるはずだ。
会席やコースの類は設定されていないが、「予算を教えていただければ、どのようにでもお作りできますよ」とのこと。半個室風の小上がりもあるので、ちょっとした会食や接待にも使いやすそうだ。「お子さん連れでも大歓迎です」ということなので、ファミリーでも安心して訪れてほしい。
もともとは地域に根ざした近くの常連さんが通う店だったが、近年は『ミシュランガイド』に掲載されたり、インターネットを通して口コミが広がって、遠方からのお客さんも増えてきているという。平日は比較的空いているそうだが、週末については、席の予約を入れてから訪れるのが良いだろう。
親子二人三脚で、実直に着実に、美味しいとんかつの追求を続けてきた「自然坊」。大切なお皿に盛りつけられた珠玉のとんかつを味わいたければ、この店を選べば間違いない。
自然坊
所在地:東京都大田区久が原4-19-24
電話番号:03-5700-5330
営業時間:12:00~15:00、17:00~21:00
定休日:水曜日
http://www.tonkatsu-zinenbou.com