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古き良き趣を残す由緒ある街、神楽坂に住まう

由緒ある山の手の花街・神楽坂は、今もしっとりとした路地の情緒を残す街だ。「神楽」とは神社などで奏でられた「神に捧げる音楽」のこと。迷路のような石畳の路地を歩けば、都心にいながらにして、まるでタイムスリップしたような気持ちになれる。古き良き東京の面影を残す街は少なくないが、神楽坂のようにかつての邸宅街の風格をもって過去と今が共存する街はほかにないだろう。

神楽坂エリアは江戸時代より神田川の河岸(神楽河岸)として、また神楽坂の象徴である「毘沙門天 善國寺」の門前町として栄えてきた。かつてこの一帯は「牛込」と呼ばれていたが、1792(寛政4)年に善國寺が麹町より移転してくる前は武家屋敷が殆どで、その後は茶屋や民家が増え、華やかな街並みへと変わっていった。明治・大正初期には、泉鏡花、尾崎紅葉、北原白秋など多くの文人・墨客たちがこの界隈を好んで闊歩し、多くの小説にも登場している。毘沙門天門前の賑わいは東京の「縁日の発祥の地」ともなり、「山の手銀座」とも呼ばれていた。

メインストリートである「神楽坂」、「神楽坂通り」は、いつも老若男女たくさんの人で賑わっているのに対し、一本脇道に入ると細い石畳の静かな路地になり、また唐突に階段が現れるなど、意表をつくように表情を変える。「かくれんぼ横丁」のように、少し先を歩いていた人が次の瞬間には見えなくなってしまう迷路のような路地も点在している。神楽坂の路地裏の風情は実に独特なため、路地裏散歩に訪れる人も絶えない。

このエリアはかつてから出版や印刷に関わる企業が多く、文豪たちとの歴史も深い。尾崎紅葉や夏目漱石、与謝野晶子など多くの文豪たちから愛された街でもある。「かくれんぼ横丁」の中にある旅館「和可菜」は、数々の文豪や映画監督が執筆のために利用していることで有名だ。また、文具店「相馬屋源四郎商店」の原稿用紙は、夏目漱石や坪内逍遥が愛用していたことで知られている。

「矢来能楽堂」や「宮城道雄記念館」などの風格ある文化施設も多い。最近ではギャラリーも増えていおり、「アユミギャラリー」は建物自体が登録有形文化財となっている。

神楽坂のメインストリートは「早稲田通り」の一部でもある。JR線「飯田橋」駅ちかくに「神楽坂下交差点」があり、毘沙門天に向かって登る道 が「神楽坂通り商店会」となっている。大久保通りとの交差点「神楽坂上」から先が「神楽坂商店街振興組合」となり、六本木方面へと続く「外苑東通り」と交差している。

複数路線が利用可能な街としても魅力が高い。東京メトロ東西線「神楽坂」駅から「大手町」駅までは約8分。「新宿」駅までは約9分(「高田馬場」駅でJR乗り換え)、「銀座」駅までは約12分(「大手町」駅で丸ノ内線乗り換え)といずれも気軽にアクセスできる距離にある。また、東京メトロ東西線は他路線との乗換え駅の多い路線で、非常に利便性が高い。都営大江戸線の「牛込神楽坂」駅も近いため、行き先に応じて使い分けることができるだろう。

もともと料亭の多かった神楽坂は、今も美食の街として健在である。マスコミなどで取り上げられる店は数知れず、ミシュランガイドで星を獲得している店も多い。江戸・明治時代から続く老舗の名店のみならず、新たな名所も増えている。また、いわゆる「一見さんお断り」と標榜する高級店も多い。「かくれんぼ横丁」から別れる路地「芸者新道」では、今でも料亭から料亭へ移動する芸者さんにばったり会うこともある。

この路地にある2012(平成24)年にオープンした「ル ブルターニュ バー ア シードル レストラン」では、各地のシードルやガレットなどのブルターニュの地方料理をいただくことができる。また、「本多横丁」には、6年連続してミシュランガイドに掲載されるフレンチの名店「ルグドゥノム ブション リヨネ」が店を構える。この店の周りはまるでパリの街角のような雰囲気を醸し出している。善国寺の脇の路地には、ミシュラン3つ星の誉高い名店「石かわ」も店を構えている。「寺内横丁」の一番奥には「神楽坂茶寮」があり、風景に溶け込んだ和カフェはとても人気が高い。

神楽坂の街は、日本人のみならず海外からの評価・人気が高い。文化の香り、花街としての賑やかさと品格、東京らしさの中に異国情緒のような面影が同居する、稀有な街である。

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