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根津神社

“谷根千”エリアのシンボルの一つであり、今も多くの参拝者や観光客に親しまれている「根津神社」。神社の由緒によると、その歴史はおよそ1900年も前に遡り、大和武尊(ヤマトタケルノミコト)が創祀したと伝えられている。もともとは、現在の「文京区立本郷図書館」(団子坂付近)に鎮座していたそうだが、室町時代の文明年間(1469-1486年)に、江戸城を築いたことで知られる太田道灌が最初の社殿を築いた。

表参道の鳥居
表参道の鳥居
静かな時が流れる
静かな時が流れる
楼門へと続く神橋
楼門へと続く神橋

その後、江戸幕府五代将軍・徳川綱吉の時代に、綱吉が兄である綱重の子・綱豊(のちの六代将軍・家宣)を養嗣子(家督を継ぐ養子)として迎えることになり、綱豊が江戸城に入ったため、綱豊の屋敷地であった現在地を「根津神社」(当時は根津権現と呼ばれていた)に寄進し、そこに神社を遷した。それが1706(宝永3)年のことであるという。

度重なる戦争や震災の被害も奇跡的に免れたため、現存の社殿及び付帯する建物には、綱吉の時代に建てられたものが数多く残っており、文化的・歴史的な価値は非常に高い。本殿・幣殿、拝殿・唐門・西門・透塀・楼門・銅燈籠については、国指定の重要文化財となっているため、建築物を目的に訪れる人も多いという。

その一方で、根津神社を最も有名にさせているものと言えば「つつじ」だろう。南側の表参道から鳥居をくぐり、少し歩いて開けた場所に出ると、小さな橋の左手側に、こんもりとした背の低い木々の茂みがある。こちらがそのつつじ園で、普段は立ち入ることはできないが、つつじが咲く時期には散策が可能になり、全国各地から観光客が訪れる。その時期には露店も並ぶなどにぎわうが、逆に言えば、それ以外の時期の根津神社はいたって静かであり、特に朝夕などは神々しく、荘厳な雰囲気を感じることができるので、そういった時期・時間を狙って訪れるのもオススメだ。

国の重要指定文化財の楼門
国の重要指定文化財の楼門
社殿周囲を囲む透塀
社殿周囲を囲む透塀

橋を渡った先にある壮麗な門は「楼門」。重要文化財ではあるが、その中をくぐって進むことができ、間近に美しい装飾を見ることができる。2体の随身像のうち、向かって右側の青い衣の像は、水戸光圀公がモデルであると伝えられている。その先にあるのが唐門と、唐門の内側の社殿。拝殿の奥に幣殿(へいでん)と本殿が一宇(一棟)で続く「権現造り」という様式で、重要文化財。もちろん、建築学的にも貴重なものであるという。

また、唐門から伸び、社殿を囲む塀は「透塀」(すきべい)と呼ばれ、これも重要文化財に指定されている。反対側が透いて見える格子状の木組みの塀で、一周およそ200mあるそうだが、300年を経ても狂いがほとんど無いほど精緻かつ堅牢に造られており、当時の建築技術の高さを垣間見られる。

乙女稲荷神社へと連なる鳥居
乙女稲荷神社へと連なる鳥居
乙女稲荷神社
乙女稲荷神社

楼門から左手に見える朱塗りの鳥居群は、摂末社(神社の敷地内にある小さな社)である「乙女稲荷神社」への参道。これらの鳥居は氏子により奉納されたもので、鳥居をくぐる石畳の回廊は、絶好の記念写真ポイントにもなっている。また、鳥居をくぐった先にある「乙女稲荷神社」の社殿は、神社本殿を横から見渡すビューポイント。隣には「駒込稲荷」も摂末社として鎮座している。

「東京十社」の一つに数えられるほど、歴史も格式もある「根津神社」ではあるが、元々が屋敷地だったこともあり、境内を「巨木で囲む」のではなく、「庭園を見せる」という方向性でレイアウトされているのは面白い。荘厳で静謐ながら、広く明るく開けたこの空間は、昔から絶好の散策コースになっていたようで、境内には「文豪の石」という腰掛け石が残っている。ここで森鴎外や夏目漱石も休み、思索を練っていたのだろう。

東京都内でも有数の格式ある神社であり、江戸幕府や歴史とも密接に関係し、文学作品にも数多く登場する「根津神社」。こんなに素敵な場所に、つつじの季節にだけに訪れるのはもったいない。朝昼夕、四つの季節と、つつじの時期。それぞれに訪れてみてほしい、谷根千でも一番の癒やしスポットである。

手水
手水
鮮やかな緑に包まれた境内
鮮やかな緑に包まれた境内
細やかな装飾
細やかな装飾

根津神社
所在地:東京都文京区根津1-28-9 
電話番号:03-3822-0753
http://www.nedujinja.or.jp/




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