なが餅 笹井屋
国道1号より少し奥まった所にあるなが餅の元祖「笹井屋」。三重には、数々の名の知れた和菓子があるが、四日市では、古くからお茶のお供に親しまれてきた。
なが餅の歴史は、戦国時代にまでさかのぼる。天文19(1550)年というと、織田信長がまだ17歳の若かりし頃の話だ。
「笹井屋」の初代彦兵衛さんが四日市で茶店を開き、行き交う旅人に旅の疲れを癒してもらおうと、当時の四日市の地名「日永」にちなんだ長い餅を作ったのが始まりだという。
後に伊勢津藩36万石の大名となる藤堂高虎がまだ足軽の頃、東海道を上る途中、日永にさしかかるあたりで空腹になり一歩も進めなくなった。無一文であった高虎に店主が「出世払い」ということでなが餅を食べさせてくれた。元気をとりもどし「武運のながき餅を食うは幸先よし」と大変喜びし、後に大名になってからも恩を忘れず、参勤交代の折には立ち寄ったという逸話が残っている。