御靈(ごりょう)神社
不安や怒り、心の悩み、 ストレスなどを静めたいとの願いで全国各地からたくさんの人が訪ねる神社が京都市上京区にある。地下鉄烏丸線「鞍馬口」駅から徒歩3分の場所、閑静な住宅街にある「御靈神社」だ。下京区にある下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)の対をなす神社として、正式社名は「上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)」という。
由緒は平安時代初期。各地で流行していた疫病を鎮めるために崇道天皇をこの地に祀ったのが始まりとされる。つまり、天災や疫病の発生を人間の「怨霊」のしわざと見なして鎮める御霊信仰(ごりょうしんこう)の中心地にあたる古来疫病除の霊社なのだ。このことから現在では「魂を鎮める場所」、つまり「心しずめ」のご利益がある神社として周知されている。特に、同社で販売している「こころしずめのお守り」を求めに、全国からたくさんの人が参拝に来る。
この「御靈神社」は応仁の乱が始まった勃発地でもある。応仁の乱の主要人物として知られる畠山政長が御霊の森に陣をしき、畠山義就と戦いを交えたことがきっかけで戦国時代の幕が開いた。まさに歴史的に見て、とても重要な拠点と言える。「御靈神社」の境内にはそれを示す石碑が立っている。
西門にあたる楼門は氏子中の寄進により江戸時代中期の寛政年間に再建されたもの。左右には「随身(ずい)さん」と呼ばれる御所の中枢を守る近衛兵の像が安置されている。一方、南門にあたる四脚門は伏見城の遺構である四脚門を1623(元和9)年ごろに移築したもの。梁の上の両側には豊臣氏の家紋である五三桐の透かし彫りが見える。「鞍馬口」駅からの参詣であれば西側の楼門をくぐる事になる。
楼門をくぐると9.5mを誇る巨大なクロマツがお出迎え。かつて今の約二倍の面積あったとされる御霊の森の名残か、このクロマツをはじめ、21.5mのクスノキなど、境内に巨大な木々が立ち並び、荘厳な雰囲気を醸し出している。さらに俳聖松尾芭蕉の句碑や江戸時代の著名な国学者、富士谷御杖の詩碑を越えて境内を進むと拝殿(舞殿)、その先には1733(享保18)年に下賜された賢所(かしこどころ)御殿の遺構を復元した本殿がある。まさに皇族からの崇敬が厚いことがわかる。そして南側には1755(宝暦5)年に賢所御殿を拝領した絵馬所があり、皆川淇園(みながわきえん)・小林雪山等著名画師の作品が掲げられている。これらの建造物群、「御靈神社」は京都市の景観重要建造物、歴史的風致形成建造物に、社寺として初めて指定された。
毎年5月に行われている「御霊祭」では境内に屋台がずらりと並び、華やかな雰囲気となる。最も盛り上がりを見せる18日の還幸祭には天皇寄進の神輿や後陽成天皇の寄進と言われている牛車などが、神社から京都御苑内に向かい行列をなす。まさに京都の春の風物詩となっている。
御靈(ごりょう)神社
所在地:京都府京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495
電話番号:075-441-2260
受付時間:9:00~17:00(季節により変更あり)
http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/0..