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秀吉・家康ゆかりの歴史的にも貴重な城

伏見桃山城

伏見桃山城
伏見桃山城

1592(文禄元)年豊臣秀吉の隠居のために築城され、1598(慶長3)年にこの城内で秀吉が没したと知られる桃山城。秀吉存命時の地震による倒壊と再建や徳川家康による再建など、この時代の重要人物が深くかかわる桃山城であるが、その経緯と城の変異には学説にも諸説ある。 

伏見桃山城
伏見桃山城

現在の「伏見桃山城」は当時を復刻したものであり、耐震構造などの問題から城内の立ち入りは出来ない状態となっている。当時は南に巨椋池(おぐらいけ)が広がり、水運により大阪と京都とを結ぶ要衝の地であった。そうした歴史的に重要な拠点であった地に築城されたかつての城の存在価値は大きい。

伏見桃山城
伏見桃山城

現在は復刻したかつての「伏見桃山城」と庭園広場、トレイルコース、野球グラウンドなどが整備される「伏見桃山城運動公園」の施設のひとつとして運営されている。城周辺の植物やモミジの紅葉など季節の移り変わりとともに眺める景観はかつての栄華を思い起こさせる眺めである。

伏見桃山城
所在地:京都府京都市伏見区桃山町大蔵 伏見桃山城運動公園内




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