越ヶ谷御殿跡

御殿の跡地に立つ石碑
御殿の跡地に立つ石碑

越谷宿を取り立てた1604(慶長9)年、徳川家康は増林にあった御茶屋御殿を越谷郷土豪会田出羽資久の敷地内(元荒川べり)に移し、壮大な御殿を建造した。日光参詣の折や鷹狩りで家康や秀忠がしばしば利用した、面積にして約6haにもおよぶ壮大な御殿だったという。

歴史的背景を記した説明板
歴史的背景を記した説明板

その後44年が経過した1657(明暦3)年の1月、江戸の大火で江戸城が全焼したため、越谷御殿は急遽解体されて江戸城二の丸の将軍の仮殿として移設され、御殿町という地名が残された。広大な御殿の跡地は今では全て畑や住宅地となり、御殿の面影を偲ばせるものは何も残っていない。

民家の上空を飛ぶ水鳥
民家の上空を飛ぶ水鳥

御殿跡石碑が佇む用水路やその上空にはいつも白鷺と思わしき水鳥が舞っている。御殿が建造された後のある年には家康が三度もやって来て19羽の鶴を捕らえたという記録も残っている。現在は石碑以外に何も残されていない御殿跡だが、民情視察と銘打ってしばしばこの越ヶ谷御殿を訪れてはたくさんの水鳥を仕留めてご機嫌な家康の笑顔を想像するのはたやすい。

石碑の下を流れる用水路
石碑の下を流れる用水路

越ヶ谷御殿跡
所在地:埼玉県越谷市御殿町3 
https://www.city.koshigaya.saitama.jp/ka..



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