牛王山遺跡
武蔵野台地の北東端部、荒川低地を望む標高24~25mの独立丘陵上に位置する弥生時代後期の環濠集落。1978(昭和53)年から15回にわたって行われた発掘調査で、竪穴建物は弥生時代中期後半から後期の約150棟が検出され、時期により竪穴建物の平面形態に変遷があったこと、環濠は後期中葉前半に掘削されて後期中葉後半には埋没したことなどが明らかになっている。
中期後半には南関東系、後期前葉には南関東系と北関東系が共存し、後期中葉になると東海東部に系譜が求められる土器が主体となる、時期によって異なる系統の土器が確認された他、関東では出土事例が少ない銅鐸形土製品や帯状円環銅釧が出土したことで、本遺跡が遠隔地との交流や往来があったことが示された。
関東では類例の少ない、弥生時代後期の同時性が確認できる多重環濠集落の成立から廃絶までの過程が明らかとなった遺跡で関東における弥生文化の交流の実態を知る上で重要な集落遺跡とされている。
牛王山遺跡
所在地:埼玉県和光市新倉3-11-35
http://rekitama-wako.jp/museum/iseki/gob..