HOME >  埼玉県で暮らそう!  >  コラム  >  【川口市】宿場街からキューポラの街、そしてベッドタウンに進化した街

【川口市】宿場街からキューポラの街、そしてベッドタウンに進化した街

川口市は、埼玉県南東部に位置する約60万人が暮らす街で、埼玉県内第2位の人口を誇ります。2011(平成23)年に鳩ヶ谷市と合併し、現在の市域になりました。

川口の街は、江戸から日光へ延びる日光御成街道の宿場町として発展しました。日光御成街道は、日光街道の脇街道として江戸時代に整備された道ですが、江戸幕府の将軍が「日光東照宮」に参拝する際に利用した道で、その重要性は日光街道に引けを取らないものでした。当時の日光御成街道はおおむね現在の国道122号に沿ったルートで、「川口宿」は今の川口市本町付近にあり、当時の本陣の門などが残っています。

鳩ヶ谷宿
鳩ヶ谷宿

鳩ヶ谷も日光御成街道の宿場町として栄えました。鳩ヶ谷周辺の日光御成街道は現在の国道122号のルートとははずれているため、宿場町の面影を残す建物や一里塚跡など、歴史を感じられるスポットも多く残っています。なかでも、鳩ヶ谷の街の中心に建つ「鳩ケ谷総鎮守氷川神社」は、古くから鳩ヶ谷の総鎮守として信仰を集めてきた神社で、徳川家康が境内で休憩したといわれる逸話もあります。

江戸時代、今の川口市一帯では、街道沿い以外には農村が広がっていました。荒川で採れる砂や粘土といった資源に恵まれ、日光御成街道で大消費地であった江戸への運搬も容易なことから、農閑期の副業として鋳物産業が盛んに行われるようになります。幕末には勝海舟の指示で大砲が製造されるなど、明治時代までに鋳物の街、川口の基盤が築かれました。明治維新後は、技術の進歩によりさらに発展、埼玉県有数の工業都市にまで発展します。第二次世界大戦後は、鍋ややかんなど日用品の生産で活況を呈し、1962 (昭和37)年に公開された映画『キューポラのある街』で、川口の鋳物は一気に有名になりました。

川口市立グリーンセンター
川口市立グリーンセンター

一方、川口市の北部、安行地区では、江戸時代、ここに住む農家のひとりが切り花や植木の栽培をはじめ、江戸へ売りにでるようになったことから、植木栽培が広がるようになりました。幕末には、安行の植木栽培農家は数十戸にまで拡大したともいわれており、当時の植木産地であった江戸周辺の駒込や染井へ苗木を供給する拠点としての役割を果たすようになっていたようです。第二次世界大戦後は「埼玉県植物見本園(現・埼玉県花と緑の振興センター)」や「グリーンセンター川口市立花木植物園(現・川口市立グリーンセンター)」が誕生。今も安行地区では植木栽培が続けられています。

川口元郷駅
川口元郷駅

近年はベッドタウンとして発展してきました。川口市の宅地化は、高度経済成長期ごろから、JR京浜東北線の駅周辺を皮切りに着々と進んでいきましたが、2001(平成13)年に埼玉高速鉄道が開通すると、それまで鉄道に恵まれなかった川口市東部や鳩ヶ谷エリアでも急速に宅地開発が行われるようになりました。

「川口」駅前の再開発や埼玉高速鉄道の駅周辺での都市インフラ整備も行われ、キューポラと植木の街は今、成熟した住宅地として進化を遂げています。

川口市のアクセス情報

鳩ヶ谷駅
鳩ヶ谷駅

川口市の玄関口となる「川口」駅へは、「東京」駅からJR京浜東北線快速に乗車し約24分でダイレクトアクセスが可能です。「新宿」駅からはJR埼京線快速で「赤羽」駅へ、JR京浜東北線に乗り換えて約17分(乗り換え時間含まず)となります。旧鳩ヶ谷市の中心にある「鳩ヶ谷」駅へは、「東京」駅からJR京浜東北線快速で「王子」駅へ、東京メトロ南北線の埼玉高速鉄道直通電車に乗り換え約31分(乗り換え時間含まず)です。「新宿」駅からはJR山手線で「駒込」駅へ、東京メトロ南北線の埼玉高速鉄道直通電車に乗り換え約34分(乗り換え時間含まず)でアクセスできます。




PAGE
TOP