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【我孫子市】別荘地として人気を博し、白樺派の拠点へ

我孫子市は、千葉県の北西部に位置し、手賀沼と利根川にはさまれたエリアに広がっています。1955(昭和30)年4月に我孫子町、布佐町、湖北村が合併して我孫子町となったのち、1970(昭和45)年7月に市制が施行されました。現在の人口は約13.2万人です。

我孫子市内の住宅地
我孫子市内の住宅地

我孫子という地名は古くからあり、鎌倉時代の文書にもその名が記されています。その由来は正確にはわかっていませんが、古墳時代、朝廷が各地の地方豪族を支配下におさめるときに、豊かな土地を直轄地とした際に、こうした土地に対して我孫子という名前をつけたことがきっかけと考えられています。

手賀沼公園
手賀沼公園

江戸時代になり、五街道に次ぐ重要な街道であった水戸街道が整備されると、我孫子は宿場町として発展します。当時の我孫子宿は、今の我孫子市本町や寿を中心に約1kmにわたって広がっていました。また、宿場の東端付近では、水戸街道から成田街道が分かれ、交通の要衝としても機能していました。現在、本陣跡には説明板が設けられ、当時の面影を知ることができます。

我孫子駅
我孫子駅

1896(明治29)年に日本鉄道土浦線(現・JR常磐線)が開通すると、「我孫子」駅も開業し、東京都心との交通の利便性が向上しました。「手賀沼」周辺の豊かな自然にも恵まれている我孫子は、東京に近い別荘地としても人気を集めるようになります。

そのきっかけとなったのは、柔道の父とも呼ばれる嘉納治五郎が、1911(明治44)年に別荘を構えたことでした。1914(大正3)年には嘉納の甥であり思想家の柳宗悦も移住、その翌年には、彼の友人であった小説家の志賀直哉が移住してきました。さらに、武者小路実篤や瀧井考作などの文人が移り住み、我孫子は白樺派の拠点となります。志賀直哉は我孫子で『城の崎にて』や『和解』を著すなど、数多くの名作も誕生しました。

白樺文学館
白樺文学館

現在も、かつての武者小路実篤の邸宅は現存しているほか、我孫子市内には「志賀直哉邸跡」や「嘉納治五郎別荘跡」など彼らの足跡をたどることができる史跡があります。また、「我孫子市白樺文学館」では我孫子での白樺派の活躍について知ることもできます。

常磐線各駅停車
常磐線各駅停車

1971(昭和46)年に国鉄(現・JR)常磐線の「北千住」駅から「我孫子」駅間の複々線化が完成、営団地下鉄(現・東京メトロ)千代田線との直通運転がはじまると、「我孫子」駅から「大手町」駅や「日比谷」駅など東京都心へダイレクトで結ばれるようになりました。こうして別荘地としての歴史を受け継ぎながら高級住宅地として発展を遂げた我孫子市は、今も住宅地としての人気が衰えていません。

我孫子市のアクセス情報

我孫子市の玄関口となる「我孫子」駅にはJR常磐線とJR常磐・成田線が乗り入れています。JR常磐線は東京メトロ千代田線に直通する各駅停車に加え、快速も停車します。各駅停車、快速ともに「我孫子」駅始発となる電車も多く、通勤時間帯でも少し並んで待てば座って移動できます。「東京」駅から「我孫子」駅までの所要時間は、JR上野東京ライン、JR常磐線直通電車利用で約40分。「大手町」駅からは東京メトロ千代田線、JR常磐線直通電車で約46分です。

【我孫子市】別荘地として人気を博し、白樺派の拠点へ
所在地:千葉県我孫子市 




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