室町砂場 赤坂店
室町砂場 赤坂店
2代目店主 村松幸一さん
赤坂の地で半世紀以上も暖簾を守る、
赤坂随一のそばの老舗
「赤坂」駅から徒歩数分の場所にある「室町砂場 赤坂店」が開店したのは、1964(昭和39)年の「東京オリンピック」の年のことだ。この地で毎日そばを打ち続け、街の人々と関わり続けてきた店主は、今の赤坂をどんな気持ちで眺めているのだろうか。今回は店の歴史とこだわり、半世紀の間の赤坂の街の変化などについて、店主の村松幸一さんにお話をうかがった。
「室町砂場 赤坂店」という店名は、なぜ付けられたのでしょうか? お店の由来、歴史について、お聞かせください
本店として日本橋に「室町砂場」という店があって、ここはそこの支店なんです。うちの親父の兄が日本橋の室町で本店をやってまして、親父ももともと、本店で働いていたんです。それで、次男であるうちの親父が、赤坂に店を出したんです。
赤坂に店を出そうと思ったのは、何故だったのでしょうか?
親父に聞いてみないとわからないけれど。多分、赤坂という場所が良かったんじゃないですか。昔は花街で、華やかだったんです。開店したのは1964(昭和39)年、ちょうど「東京オリンピック」の年ですね。その頃は赤坂も華やかでしたよ。この建物はもともと置屋(芸者の詰所)だったものを親父が買い取って、改築して、蕎麦屋にしたんです。
「天もり発祥の店」として有名ですが、これにはどんなエピソードがあるのでしょう?
「天もり」と「天ざる」は、親父が日本橋の本店で働いていた時、夏場、温かい天ぷらそばが出なくなってしまったので、「どうしたら出るかな」ということで考えたものらしいんです。職人は閉店後に「終(しま)いそば」というのを、余ったものを使って食べていたんですけど、本店では残った蕎麦を煮て、おつゆの中に揚げ玉を入れて食べていたんです。それをヒントに、「天もり」を作ったんですね。ですから、うちの天ざるは、今でもおつゆの中にかき揚げが入っているんです。 本店で「天もり」と「天ざる」を出し始めたのは、だいたい昭和26年か27年ごろですかね。もともと「もり」と「ざる」があったので、「天もり」も「天ざる」も、一緒に始まったものでしょうね。
そもそも、「天もり」と「天ざる」の違いは何なのでしょうか?
「天もり」と「天ざる」は、そばが違うだけ。うちでは、「ざる」は「御前そば」、更科そばとも言うやつで、白っぽいおそば。「もり」のほうは一番粉を使った、もうちょっとおそばらしい色のものです。そば粉自体が違うので、製法もちょっと違って、更科のほうは、熱いお湯で捏ねて打っています。本店の時代から、ずっと変わらない作り方ですね。
そばは毎日、手捏ねで作っているそうですが、そば打ちのこだわりについて、詳しく教えてください
そば粉の割合としては、だいたい「そば粉2・1うどん粉」の割合かな。この割合も室町と同じです。「砂場」と言ってもいろいろあるので、ほかの砂場とはちょっと違うのかもしれないです。「砂場会」っていう会があって、そこに登録すれば「砂場」を名乗れるからね。うちと室町は同じだけれど、ほかとはちょっと違うと思います。 粉は業者さんで挽いてもらっているけれど、極力国産のそば粉で、毎日、その日に出すものはその日に打ってますよ。そこがこだわりと言えばこだわり。でも一回に一日分は打たないです。3時間ぐらいで捌(は)けるぐらいの量を打って、無くなりそうになると、また追加で打つっていう具合で。うちは手捏ねの機械打ち。捏ねるのは手だけれど、延ばして切るのは機械です。
手捏ねにこだわるのは、やはりそれでしか出ない風合いがあるからなのでしょうか?
どうなんでしょうかねえ。手でしかやったことが無いので(笑)。昔は、機械じゃうまく捏ねられないってことで、手でやっていたんだよね。機械で捏ねようとすると、うどん粉をどんどん多く入れて、つなぎやすくしないといけないから。昔からやっていることを、親父に教わったとおりにやっているだけなんですよ。
「もり」「ざる」以外では、どんなメニューがおすすめですか?
「おかめそば」なんてのは、面白いかもしれないですね。湯葉、かまぼこ、海老、玉子焼き、しいたけ、みつばなんかで、おかめの顔の形をしているんだけど、これもずっと昔から変わっていないそばですね。うちは新しいメニューは無いんですよ。室町の時からほとんど変わっていないんです。ほかにも季節によって、「たけのこそば」とか、松茸とか、あられとか、そういうものはありますけれどね。そば以外だと、「そばぜんざい」なんてのも、ちょっと珍しいでしょ。意外と人気なんですよ。これも室町からあったメニューですね。
開店以来半世紀以上、赤坂にいらっしゃるわけですが、その間に周辺はどう変わってきましたか?
昔は本当に街の中心は華やかでしたね。赤坂って芸者さんの街だったから、料亭があって、うちみたいな置屋も、料亭も、お風呂屋さんもいっぱいあったんです。うちにも最初の頃は、芸者さんなんかもよく来られましたよ。人力車も走ってましたし、黒塗りの車で乗り付けてくるような、そんな街でした。 それから昔は、電車は「赤坂見附」駅しか無かったんです。今の「赤坂」駅も、「溜池山王」駅も無くて。だから電車で来るのは野暮で、車や人力車で来るような街だったんです。昔、赤坂の真ん中に駅を作ろうとしたら、「そんな真ん中に駅はいらない」と反対されたなんて話もあったみたいです。 うちの辺りは街のはずれで、店の前の道の突き当りのところのビルが自動車教習所だったし、その隣には観光バスの整備工場がありましたね。周りの家も昔はみんな木造だったんですよ。50年も経って、このあたりにもビルがずいぶん増えましたが、それでも、駅から少し離れれば、まだ住宅も多くて静かな環境も残っていますよ。
街との関わり、つながり、ということについて、何か取り組んでいることがあれば教えて下さい
街との関わりということだと、「赤坂氷川神社」のお祭りの時には店の前を神輿が通って、その時はお酒を出したりしてます。このあたりは氏子さんも多く、うちも町会には入っていますから、お祭りの時はとても盛り上がりますよ。
赤坂も過去半世紀、開発の波に揉まれてきた地の一つですが、その中でお店の伝統を守っていくということについて、どうお考えですか?
私は何の力もないし、伝統って言っても、今までやってきたことを変えずにやってきただけですよ。これからもそれは同じですね。
テレビ局や官庁街も近いわけですが、芸能人や著名人、政財界の大御所なども来られたりするのでしょうか?
やっぱりテレビ局もあるので、俳優さんなんかも時々来られているみたいですね。政治家の方もよく来られていますよ。そういう方でも予約はうけていないので、普通に順番待ちの列に一緒に並んでいただいていました。
赤坂に半世紀住まわれているわけですが、住民目線から「赤坂のいいところ」を教えてください
いろんなところへ行くのにすごく便利ですね。どこかへ行こうとしても、すぐどこにでも行けるし、タクシーはいつでも走っているから、すぐにつかまるし。自動車持ったら、駐車場が大変じゃない。それだけ払う料金、タクシーに乗るかと言ったら乗らないわけで。だからタクシーを使うと、便利ですよ。 これから住むという人には、ぜひ、町に関心を持ってもらいたいですね。ほら、今ってマンションが建って人が入っても、町会に入らないじゃないですか。そうすると、どなたがいるのかわからないし、町会の方も戸惑っているんじゃないですかね。だから、せっかく住むのであれば、街に関心をもって、関わりを持っていただければ、それは嬉しいことですね。
今回、話を聞いた人
室町砂場 赤坂店
2代目店主 村松幸一さん
室町砂場 赤坂店
所在地:東京都港区赤坂6-3-5
電話番号:03-3583-7670
営業時間:11:00~20:00(L.O.19:30)
※土曜日は19:30まで(L.O.19:00)
定休日:日曜日、祝日