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【春日部市】桐たんすの街として発展した、日光街道・粕壁宿

春日部市は、埼玉県東部に広がる市で、人口は約23.3万人です。春日部という地名は、南北朝時代、新田義貞の家臣であった春日部氏が、この地を領地としたことに由来するとされています。かつては粕壁という表記も使われ、現在も市内には粕壁という町名が残っています。

粕壁宿・田村本店前の碑
粕壁宿・田村本店前の碑

江戸時代に日光街道が整備されると、春日部は宿場町として発展しました。「粕壁宿」は江戸から4番目の宿場で、江戸を朝に出発した旅人が夜を迎える場所であったことから、大いににぎわったといわれています。当時の「粕壁宿」は現在の「春日部」駅東口付近にあり、本陣と脇本陣がそれぞれ1軒ずつ、旅籠は45軒あり、日光街道23宿の中で6番目の規模を誇りました。また「粕壁宿」は古利根川を使った水運の拠点としても発展し、4と9のつく日には六斎市が開かれるなど、商業の街としての機能も持っていました。

江戸時代初期、「日光東照宮」の造営に携わった大工の一部が、日光街道を通り帰る途中、粕壁宿に住みつきました。彼らは周辺で採れる桐を使い、指物や小物をつくるようになります。これをきっかけに春日部は桐たんすの街としても知られるようになりました。江戸時代の中期の文献には10軒程度の桐たんすの業者の名が記され、現存する桐たんすから1772(明和9)年と裏書が発見されていることから、このころにはすでに商業的に桐たんすの生産が行われていたと考えられています。

現在も春日部市では地場産業として桐たんすなど家具の製造が盛んで、伝統の技が生み出す春日部桐たんすは、美しく軽量で、防湿性や難燃性にも優れていると評判を呼んでいます。

春日部駅
春日部駅

1899(明治32)年に東武鉄道(現・東武伊勢崎線)が、1929(昭和4)年に総武鉄道(現・東武野田線)が開通すると、春日部は鉄道路線のターミナルにもなりました。1966(昭和41)年には営団地下鉄(現・東京メトロ)日比谷線との直通電車が「北春日部」駅まで延長され、交通の利便性が向上したことから住宅の開発も進み、ベッドタウンとして成長を遂げます。とくに「武里」駅周辺には、日本住宅公団(現・都市再生機構)により大規模な「武里団地」が開発され、春日部市の人口も急速に増加しました。

2003(平成15)年には、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)と営団地下鉄(現・東京メトロ)半蔵門線の直通運転も開始され、伝統産業が息づく成熟した住宅地として人気を集めています。

春日部市のアクセス情報

五反野駅の東武スカイツリーライン日比谷線直通電車
五反野駅の東武スカイツリーライン日比谷線直通電車

春日部市の中心部にある「春日部」駅は東武スカイツリーラインと東武アーバンパークラインが交わるターミナル駅です。東武スカイツリーラインは東京メトロ半蔵門線と東京メトロ日比谷線にも直通運転が行われており、東京都心部にもダイレクトでアクセスできます。「大手町」駅から「春日部」駅までの所要時間は、東京メトロ半蔵門線、東武スカイツリーライン直通電車利用で約55分、「銀座」駅からは東京メトロ日比谷線、東武スカイツリーライン直通電車利用で約60分となります。

【春日部市】桐たんすの街として発展した、日光街道・粕壁宿
所在地:埼玉県春日部市 

春日部市のitot



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