【草加市】歴史と伝統を受け継ぎ、新たなステージへ飛躍する街
草加市は、埼玉県の東南部に位置し、市域の南部で東京都足立区に隣接しています。中川や綾瀬川流域に開けた街で、おおむね平地が広がっています。1955(昭和30)年に、草加町と谷塚町、新田村が合併、その後の編入・分離によって現在の市域になり、1958(昭和33)年県下21番目に市制を施行し、草加市となりました。
近世のはじめ江戸から奥州へ向かう道は、千住から越ヶ谷まで河川に沿って大きく迂回をしていました。街道を行き交う旅人が増えてきたことから、幕府は千住から越ヶ谷間を最短で結ぶ新道を整備し、その中間に新しい宿を設置することにしました。このような経緯から1630(寛永7)年に幕府の公認を受け正式に宿場となった草加は、その後、宿場町として発展を遂げます。
この「草加宿」の北側の街道沿いには、その後、松が植樹されるようになりました。この松並木は「草加松原」と呼ばれるようになり、街道の名所となります。また、「草加宿」は綾瀬川や中川など水運によって江戸へ物資を運ぶ拠点としても栄え、荷積み・荷揚げの場となる河岸も設けられました。
「草加宿」の名物として、古くから愛されてきたのが「草加せんべい」です。草加周辺では稲作がさかんであり、農家では蒸した米をつぶし、丸めて干したものを塩に付けて焼き、間食として食べていたといいます。宿場町が発展するにつれ、このせんべいが旅行者に販売されるようになり、やがて「草加せんべい」として評判になりました。今も、草加市内には、約50軒ものせんべい店があるとされ、特産品として知られています。
高度経済成長期になると、草加市は東京都心に近いベッドタウンとして開発が進みます。とくに1962(昭和37)年に東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)と営団地下鉄(現・東京メトロ)日比谷線の直通が始まると、当時は東洋一といわれた「松原団地」の造成など住宅開発が急ピッチで進み、1968(昭和43)年には埼玉県で8番目の10万都市になっています。その後も、人口は増え続け、現在は約24.9万人を超える都市に成長しました。
近年は、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)の高架化や「草加」駅周辺の都市インフラ整備などが進められるとともに、東武スカイツリーラインと営団地下鉄(現・東京メトロ)半蔵門線との直通運転も始まり、ますます利便性が向上しました。
草加市では「今様・草加宿」として、「札場河岸跡」など当時の面影をしのぶことができるスポットを整備するなど歴史を生かした街づくりを進めています。今後も草加の街は、伝統を活かしつつ、時代に合った街へと進化を続けていくでしょう。
草加市のアクセス情報
「草加」駅からは、東武スカイツリーラインの東京メトロ半蔵門線直通電車や東京メトロ日比谷線直通電車を利用でき、東京都心部へも乗り換えいらずとなります。「大手町」駅から「草加」駅までの所要時間は、東京メトロ半蔵門線、東武スカイツリーライン直通電車利用で約36分。「銀座」駅からは東京メトロ日比谷線、東武スカイツリーライン直通電車利用で約40分です。