【戸田市】中山道の戸田の渡しがあった、若さと財政力に富んだ街
戸田市は、埼玉県南部に位置し、約13.9万人が暮らす市です。江戸時代、現在の戸田市内には、板橋宿と蕨宿を結ぶ中山道が通っていました。板橋宿と蕨宿の間では戸田川(現・荒川)を渡る必要がありましたが橋はなく、戸田の渡し(渡し船)が行き来を担っていました。戸田の渡しには13艘の船があり、人を渡すだけでなく荷揚げ場として物資の中継点にもなっていたことから、渡しの権利を持っていた当時の下戸田村には約200人の人々が暮らしていたといわれています。
こうして戸田の街は、渡しとともに発展していきます。この戸田の渡しは、現在の戸田橋から100mほど下流にあり、水運と旅の安全を祈願する「水神社」が残るほか、戸田の渡しの碑と案内板が設置されています。
戸田川の川幅は平時には100m前後でしたが、大雨が降ると約4kmにも広がり、しばしば渡しが中止されていたといいます。平時でも夕方以降は危険を避けるため、渡しは中止され、旅人は戸田の渡しの手前にあった蕨宿での逗留を余儀なくされました。明治維新後は、こうした不便を避けるため、橋の建設が行われ、1875(明治8)年に初代の戸田橋が完成します。この橋は木製の有料橋で、通行料は渡し賃よりも高額だったといわれています。
しかし初代の橋は大水で破損し、1912(大正元)年に2代目の戸田橋が完成しますが、これも木造橋であり、関東大震災と大水で破損してしまいます。1932(昭和7)年、待望の鉄鋼製の橋が3代目の戸田橋として完成し、その優美なデザインは、1978(昭和53)年に現在の4代目戸田橋に架け替えられるまで地域のシンボルとして親しまれてきました。3代目戸田橋の柱は今も「戸田橋親水公園」で見ることができます。
戸田の渡しから戸田橋に至る歴史のなかで、対岸の板橋区とのつながりが深かった戸田市では、今も板橋区との交流はつづいています。そのシンボル的イベントが「戸田橋花火大会」で、板橋区側の「いたばし花火大会」と同じ日に開催されています。この日は、戸田橋を挟んで両岸で花火が打ち上げられ、夜空と川面を大輪の花が彩ります。
1985(昭和60)年にJR埼京線が開通すると、戸田市内には「戸田公園」駅、「戸田」駅、「北戸田」駅の3駅が開業。交通アクセスの利便性が向上したことから、東京都心に近いベッドタウンとして急速に発展しました。
また、戸田市は埼玉県内で1位の財政力指数を誇り、余裕のある財政を生かして行政のサービスも充実しています。日本経済新聞社が行った2014(平成26)年の「全国市区の経営革新度調査」では、全国で8位、埼玉県内ではトップになっていることも、その評価の表れといえるでしょう。こうした暮らしやすさから、若いファミリー層の転入も多く、2017(平成29)年1月1日現在の戸田市在住者の平均年齢は40.2歳と、22年連続で県内トップの若さになっています。
戸田市のアクセス情報
戸田市内にはJR埼京線の駅が3駅ありますが、なかでも「戸田公園」駅には快速電車が停車し、利用できる電車の本数が多く便利です。その他の「戸田」駅や「北戸田」駅にも、日中時間帯でも約10分間隔で電車が来ますので、待ち時間のストレスは少なくて済むでしょう。「戸田公園」駅へは「新宿」駅からJR埼京線の快速で直通約20分。「東京」駅からはJR京浜東北線で「赤羽」駅へ、JR埼京線に乗り換え約30分(乗り換え時間含まず)となります。
【戸田市】中山道の戸田の渡しがあった、若さと財政力に富んだ街
所在地:埼玉県戸田市