浦和美園エリアの歩みと、未来への発展
浦和美園エリアは古くから人々が暮らしていた場所である。さいたま市緑区内では旧石器時代のものと推定される「松木遺跡」「和田北遺跡」「中原後遺跡」「北宿西遺跡」などの遺跡が見つかっており、そのことをうかがい知ることができる。
江戸時代には、芝川下流域で開発された新田への灌漑用水を保するため、現在のJR武蔵野線の南側に堤防「八丁堤」を築き、ため池「見沼溜井」を造った。その後、「見沼溜井」や見沼そのものの干拓が行われ「見沼田んぼ」が誕生。利根川からかんがい用水を引く「見沼代用水」も造られた。
「八丁堤」の跡地は、「見沼代用水」と「見沼田んぼ」の中央に残された芝川を結ぶ閘門式運河「見沼通船堀」が建設された。この運河は、パナマ運河よりも180年以上も前に開通した日本最古の閘門式運河で、歴史的にも貴重な存在だ。現在、「見沼通船堀」は公園として整備されているほか、付近には、通船堀の船割りを担った「鈴木家」の住宅も現存する。
江戸時代には、今の「浦和美園」駅の西側にあたる大門に、日光御成道の宿場も整備された。ここは、徳川将軍家が日光へ行き来する時に休憩場所として使われたという歴史もあり、今も残る「大門宿本陣」などに当時の面影を感じることができる。
2001(平成13)年、浦和市は大宮市、与野市と合併し、さいたま市が誕生した。この年には埼玉高速鉄道開通により「浦和美園」駅が開業。「埼玉スタジアム2002」もオープンし、浦和美園エリアは大きく変化を遂げた。
2002(平成14)年のサッカーワールドカップのメインスタジアムになった「埼玉スタジアム2002」。現在はメインピッチで行われるJリーグの試合をはじめ、イベントスペースを利用したフリーマーケットや野外コンサートの開催、一般でも利用できるフットサルコートやサブグラウンド、ジョギングコースやちびっこ広場など周辺住民も多様に楽しめる公園となっている。
「浦和美園」駅周辺では土地区画整理など都市インフラの整備も進められてきた。2006(平成18)年には「みそのウイングシティ」がまち開きするとともに、「イオンモール浦和美園」がオープン。浦和美園エリアの人口は増加を続け、 2012(平成24)年には、「さいたま市立美園小学校」が開校している。
2016(平成28)年1月には駅前広場の横に複合公共施設「美園コミュニティセンター」が開業。多目的ホールや集会室、音楽室を備えたコミュニティセンターに加え、図書館や市役所支所などが設けられ、災害時に対応した備蓄倉庫や帰宅困難者対応が可能なスペースもでき、防災の面からも心強い存在だ。
また、「浦和美園」駅の北へ1km程の場所、綾瀬川沿いに2024年、「順天堂大学医学部附属埼玉国際先進医療センター(仮称)」が誕生する予定となっている。一般病床800床、診療科は28科を有する大規模な病院で、医学系大学院の教育施設や研究施設、がんの治療ができる陽子線治療施設などもできるという。実現すれば、埼玉県南部の医療の要になりそうだ。今後、さらに発展することが確実な浦和美園エリア。この街の進化からは当分目が離せないだろう。
※この記事は、2020(令和2)年8月に最終更新されました。
浦和美園エリアの歩みと、未来への発展
所在地:埼玉県さいたま市緑区