古刹の緑に抱かれた快適な住宅地、大田区鵜の木一丁目
田区鵜の木一丁目エリアは大田区の西部、東急多摩川線の「鵜の木」駅の東側、環八通りとの間に広がっている。エリア東側には東急池上線の「久が原」駅もあり、鉄道に恵まれているエリアだ。
地形的には、東側の環八通り沿いは標高10~15m前後の久が原台と呼ばれる武蔵野台地上にある一方、西側の「鵜の木」駅付近は多摩川近くの低地になっている。一般に台地上は低地に比べ地盤がよいとされ、鵜の木一丁目でも地震での揺れやすさを示す表層地盤増幅率が「鵜の木」駅周辺の沖積低地では2.36と高いものの、東側の武蔵野台地上では1.57と低く、安定した地盤であることが数値でも示されている(※1)。また、武蔵野台地上は標高が高いこともあり、「大田区洪水ハザードマップ」でも浸水が想定されておらず(※2)、自然災害に対して比較的安全な場所といえる。
武蔵野台地上は古くから人々の営みが行われてきた場所で、エリア周辺でも旧石器時代の石器などが発掘された「久原小学校内遺跡」や「光明寺遺跡」、弥生時代の竪穴式住居跡である「久が原遺跡」、古墳時代の「鵜の木一丁目横穴墓群」など多くの遺跡が残されている。また、エリア内に建つ「光明寺」は奈良時代に行基によって開かれ、平安時代に空海の再興により「関東高野山宝幢院」となったと伝えられる古刹で、江戸時代には『江戸名所図会』にも描かれているなど行楽地としても人気を集めたという。
徳川家康は江戸の街をつくるにあたり、人口増加に備え多摩川両岸の低地に農業用水を引き新田を開墾した。多摩川の左岸側を流れる「六郷用水」もそのひとつで、鵜の木一丁目エリアでは、「観蔵院」付近の女堀と呼ばれる深い切通しで武蔵野台地を貫いていたという。
大正末期になると鵜の木一丁目周辺の武蔵野台地では耕地整理が行われ、現在の街区の基礎が造られた。その後、池上電気鉄道(現・東急池上線)や目黒蒲田電鉄(現・東急目蒲線)の開通で交通利便性が向上したこともあり、住宅地として発展。今も多くの実業家や文化人が暮らす場になっている。建築家である山口文象もこのエリアゆかりの人物で、1940(昭和15)年に建てられた邸宅は、現在「クロスクラブ」として地域の交流活動の場としても利用されている。
暮らしの場として考えた場合、交通アクセスのよさはこのエリアの魅力のひとつだ。「久が原」駅から池上線に乗れば「蒲田」駅まで8分。JR京浜東北線に乗り換え、「品川」駅や「東京」駅など都心方面へのアクセスもよい。池上線で「五反田」駅に向かい、JR山手線に乗り換えて「渋谷」駅や「新宿」駅などにもスムーズに移動できる。
「鵜の木」駅から東急多摩川線で「多摩川」駅に出れば、東急東横線や東急目黒線に乗り換え可能。「渋谷」駅や「目黒」駅をはじめ、直通運転が行われる東京メトロ副都心線の「新宿三丁目」駅や東京メトロ南北線の「溜池山王」駅、都営地下鉄三田線の「大手町」駅などには東急多摩川線利用が便利だろう。
環八通りをはじめ、国道1号(第二京浜)など幹線道路が近くを通るこのエリアは、自動車での移動も便利だ。環八通り沿いには第三京浜の「玉川」ICや東名高速道路の「東京」IC、首都高速道路の「用賀」出入口もある。
子育て施設も多い。とくに保育施設は認可保育園に加え、東京都認証保育所、認可外保育施設のインターナショナルスクール、民間学童保育と多彩な選択肢が揃う。近年は「クオリスキッズくがはら保育園」など新しい施設も誕生し、さらに保育環境が充実した。幼稚園も近隣に多数あり、通学指定校の「大田区立東調布第三小学校」も徒歩圏内と、小さな子どもを持つファミリーにはうれしい環境だ。かかりつけに便利な内科、小児科、歯科などのクリニックが揃っているのも心強い。
「光明寺」など寺社の緑が豊富なこのエリアは、緑に親しめるスポットが多いことも特徴だ。エリア内の「鵜の木松山公園」はその名の通り松が多い公園で地域の人々の憩いの場としても親しまれているほか、子どもの遊び場として人気が高い。エリアの西側を流れる多摩川沿いにはサイクリングロードが整備され、開放的な風景の中で散策やジョギング、サイクリングを楽しむことができる。
古くからの住宅地として発展した大田区鵜の木一丁目には、今も快適な住宅地として根強い人気を誇るだけの魅力がある。
※1
鵜の木一丁目(環八通り沿い)の表層地盤増幅率
http://www.j-shis.bosai.go.jp/labs/karte…
「鵜の木」駅周辺の表層地盤増幅率
http://www.j-shis.bosai.go.jp/labs/karte/…
※2
大田区洪水ハザードマップ
https://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/chiiki/…