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「寛永寺」の境内地から芸術の森「上野公園」へ

寛永寺
寛永寺

江戸時代、天台宗の僧侶で徳川家の信仰を集めていた天海は、池之端の北、現在の上野桜木一丁目に「寛永寺」を建立した。この場所は「江戸城」の北東にあたり、鬼門の守りという意味もあったという。

上野大仏
上野大仏
清水観音堂
清水観音堂

明治維新後、「寛永寺」の境内地の一部が日本初の公園の一つとして整備され、1873(明治6)年に「上野恩賜公園」が開園した。今も「上野恩賜公園」内には「上野大仏」や「清水観音堂」など「寛永寺」の名残が残っている。「上野恩賜公園」は桜の名所として知られているが、これは天海が「寛永寺」を建立した際に多くの桜を植えたことが始まりという。

また、「上野恩賜公園」はここは、明治から大正、昭和にかけて、殖産興業などの目的で開催される博覧会の会場となり、多くの人を集めた。それに伴って、1881(明治14)年に「国立博物館(現・東京国立博物館)」、1926(大正15)年に「東京府(現・都)美術館」、1931(昭和6)年に「東京(現・国立)科学博物館」が開館するなど、文化施設や教育機関、動物園などが多数設置され、文化の拠点にもなった。

東京国立博物館
東京国立博物館
根津神社
根津神社

池之端の北、根津は「根津神社」の門前町として栄えた。「根津神社」は日本武尊が今から1900年以上前に創建したと伝えられる古社で、東京十社のひとつにも数えられている。

江戸時代の「根津神社」周辺には武家屋敷も集まっていた。明治維新後、武家屋敷の多くは広い敷地を活かし、「東京大学」のキャンパスとして使われることになる。現在も「東京大学 本郷キャンパス」周辺には高田藩榊原家中屋敷であった「旧岩崎亭庭園」など大名屋敷の名残が残っている。

旧岩崎邸庭園
旧岩崎邸庭園

池之端や根津周辺は多くの文化人が暮らしていた。小説『舞姫』などで知られる森鴎外もその一人で、現在の「水月ホテル鷗外荘」の場所に居を構えていた。「文京区立 森鷗外記念館」も1892(明治25)年から亡くなる1922(大正11)年まで過ごした「観潮楼」の跡地で、森鷗外ゆかりの品などを見学できる。

横山大観記念館
横山大観記念館

日本画家の横山大観も1908(明治41)年から90歳で亡くなるまで池之端で暮らしていた。現在、旧居跡は「横山大観記念館」になっており、横山大観の作品などが展示されている。

長い歴史を持ち、多くの文化が育まれた池之端周辺。ふらりと散策するのも、この街での暮らしを豊かにしてくれるだろう。

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