時代・地域の課題をとらえ「多世代共住型のまちづくり」を進める多摩平団地再生事業/日野市企画経営課(東京都)
JR中央線「豊田」駅前に広がる「多摩平団地」は、1950年代に旧日本住宅公団(現UR都市機構)によって建設され、1958(昭和33)年から入居が始まった、東京都下でもっとも古い集合住宅群のひとつです。英国の「田園都市」を彷彿させる街並みは、緑が街中にあふれ、旧来の地形が生かされ、広々とした歩道があり、現代の感覚で見てもさほど古さを感じさせません。とはいえ、建物などの経年劣化は避けられず、日野市では1996(平成8)年頃から多摩平団地の整備・再開発事業に取り組んでおり、長い時間をかけながら、団地の建て替えや区画整備、公共施設の刷新などを進めています。
100年先を見越したこの計画では、ハードだけではなくソフトの面でも刷新が進められ、住民同士だけではなく、住民、行政、地元企業の三者間での連携を促進するような取り組みも行われている。また、その拠点として、多摩平地区の一角には「PlanT」(プラント)という公共スペースも整備されました。
今回はこの「PlanT」の一室をお借りして、この「連携」の部分を担う、日野市企画経営課の地域戦略担当を務める、中平健二朗さんにお話を伺いました。
――まずは、「企画経営課」地域戦略担当としてのお仕事の概要について教えてください。
まず「企画経営課 戦略係」は、昨今の複層化した複雑な社会の中で生まれた社会課題に関して、これまでの縦割りの行政を横断的に、“分野レス”の考え方で施策を立案して、庁内の各部門と調整をするという部署になります。しばしば「縦割り」と言われる役所の中に、横串を渡すようなイメージですね。
そもそも、日野市にこの前身となる「地域戦略室」ができたのは、2013(平成25)年のことでした。当時はリーマンショックの影響が色濃い時代でしたので、企業の立地保全と雇用対策が主な課題となっていましたが、近年は雇用対策がひと段落し、課題がまた変わってきました。「郊外住宅地の高齢化」を喫緊の課題としていまして、産業、福祉、街づくりといった分野に関して“分野レス”で動いているというところです。
昭和30年代に「職住近接の新しい街」として生まれた多摩平団地
――多摩平地区の象徴である「多摩平団地」は、どういった位置づけの住宅地として生まれた団地なのでしょうか?
まず、日野市自体が、1958(昭和33)年に定められた「首都圏整備計画」という国の政策の中で、「衛生都市」第一号として指定されました。これは、イギリスの「田園都市構想」に倣って、東京という大都市の外縁部に「職住近接」を基礎とした新しい街を作り、都心の過密状態を解消しよう、といった考えをもとにしたものと言われています。
多摩平団地に関しても、この職住近接の考え方に基づいた設計がなされ、この指定と同年の1958(昭和33)年に竣工した団地になります。まさに、高度経済成長期の直前、東京の人口爆発が始まる直前にできた、田園都市思想にもとづいた団地という位置づけと言えるのではないでしょうか。
――街並みの向きや道路の走り方、緑地の配置などにも、かなり特徴がある団地ということですね。
そうですね。津端修一(つばたしゅういち)さんという方が、この多摩平団地の配置計画をほぼ一人で設計されたと言われています。(『「日本住宅公団黎明期における団地設計活動に関する研究」6P 6-3団地係という職能』より)この方は、映画『人生フルーツ』のモデルにもなった有名な方ですけれども、多摩平団地はこの津端さんが日本住宅公団にいた時代に設計された団地で、津端さんの思いがこもった設計になっているといわれています。
特徴としては、「ロングビスタ」という、富士山を遠望するような形で道路設計がなされていたり、木々や建物など、近景の見え方にもこだわった設計となっています。また「従前の地形との調和」ということも重視されていまして、自然の地形を生かした街区になっていたり、「記憶の継承」ということで、従前からあった建物や小径、平地林なども多くが残されています。
一方で、団地の建物や内装については、当時としては最先端の技術やデザインを取り入れた団地でした。全戸に設定されたステンレスの流し台なども、当時は非常に珍しいものだったと聞いています。そういった先端的なものを望んで移り住んできた、トライアル意識の高い方が、当時から定住されてきたという街ということになります。
――多摩平団地以降、こういった職住近接型の街はあまり作られなくなってしまったそうですね。なぜでしょうか?
1960年代、高度経済成長期以降は、「ベッドタウン」という言葉とともに、職住が分断した方向で街づくりが行われることが多くなってしまったんですね。高度経済成長によって人口が増加している局面では、そのほうが合理的だったためだと思います。当時はサラリーマンの父と、専業主婦の母という家庭がスタンダードでしたから、それでも十分に成り立ったわけです。
ところが、今は人口減少というフェーズに入りまして、共働きが当たり前になりましたし、給料もあまり上がらない時代になりました。さらに昨年からは新型コロナウイルス感染症の影響でリモートワークが普及したことなどもあり、都心から多摩地域のほうに、住民の居住志向が移ってきています。そういった潮流を受けて、通勤しない時代の働き方、子育てをしながらの働き方、少し余裕を持った暮らし方、などライフスタイルの多様化や見直しがされている時代なのだと感じています。
また一方では、新たな課題も生まれていまして、団塊世代の高齢化が非常に進んでおり、子どもの世代も核家族化が進んでいます。「介護」と「子育て」の両方の問題が、一度に表面化してきている、というのが今の時代かと思います。
そんな状況の中で、多摩平団地が本来目指してきた、「職住近接」の街づくりというのは、今こそ本当に必要とされてきているのではないか、改めてその価値を見出すべきじゃないか、と考えています。「多世代共住型のまちづくり」を目指して、再生事業を進めているところです。
地域住民や企業もつながりながら、持続可能・次世代型の地域づくりを目指す
――ここ数年、日野市は「SDGs」(持続可能な開発目標)を標榜して政策を実施し、多摩平団地についても、公共施設を次世代型へとブラッシュアップされていますね。そこに込めた想いとは何でしょうか?
やはり、人口が減少し、不確実になっていく社会の中では、「多様な可能性」というものを内在していないと、変化に対応できないわけです。そこで、土地利用についても、時代の変化に応じて臨機応変に対応しながら、持続可能なまちとするための都市機能の誘導をするようにしています。
街についても同様でして、一度に全部を開発して、同じ世代の方がたくさん住んでしまうと、街の多様性は失われてしまいます。現状起こっているように、一気に街が高齢化するというような事態につながるわけです。そこで、多摩平の再開発に関しては、1996(平成8)年から現在に至るまで、非常に長い時間をかけてゆっくりと開発を行うようにしていまして、その中で、世代の多様化を図り、土地利用の多様化を図るということを実施しています。やはり、多様な人たちが交わるように仕向けないと、街も持続はできない時代なのです。
――「職住近接」の多摩平団地の周辺には、多くの企業が拠点や工場を構えていますね。そういった民間企業と地域との連携や、実際に行われたイベントなどがあれば教えてください。
ひとつはこの「PlanT」ですね。本来の名称は「日野市多摩平の森産業連携センター」であり、「PlanT」は愛称です。インキュベーション施設として「苗木」(plant)を育てる施設であり、工場(plant)のあったまちの象徴であり、人を繋げる装置(plant)となる施設に・・・という意味が込められ、その名のとおり、それまであまり繋がってこなかった、地元の企業の方々、または、都心に働きに出ている方々と、地域に暮らす人々が、より結びつきやすくなれる装置として、整備をした場所になります。
公共の場所ですから、仕事や地域産業の活性化や地域課題、社会課題の解決に関連した活動といった目的であれば、どなたでも利用できるスペースでして、企業の方をはじめ、創業を目指す方、地域で活動するNPOの方、学生さん、また、最近はSDGsをテーマにして、地元の高校生がさまざまな活動をしていますので、その活動の場としても活用されています。
――ビジネスパーソンと市民が交流や連携を行う、公共のスペースということですね。社会人向けの施設を、高校生が利用しているというのもユニークですね。
今、高校生のカリキュラムには、「探究学習」という新しい科目が実施されようとしています。その中のテーマでも、SDGsが扱われます。SDGsは実社会の課題ですから、やはり地域に出て、社会と交わり、大人と一緒に問題を考えていくことが必要になります。その中で、この「PlanT」という場所を活用してもらっています。SDGsが目指す「ゴール」は、行政だけで実現できるものではありませんから、地域住民の方も、学生さんも、企業の方も、みんなが一緒になって、解決に向かって進んでいく、そのための場所として、この「PlanT」を活用していただければと思っています。
――過去にも実際に官民連携、企業と市民の連携で、事業やイベントなどが行われてきたそうですね。
直近では、ある通信企業さんと自治会が連携して、コロナ禍でのコミュニケーションの課題を解決するツールを開発しよう、という取り組みが行われ、今も継続しています。また、地元の企業さんが作っている製品や技術に関して、住民とコミュニケーションをとりながら新しい使い方を考えてみよう、というワークショップ〝メーカーズキャラバン〟も開催されました。
もう少し前ですと、市が「日野自動車」さんと連携して、「モビリティリビングラボ」というイベントが開催されました。この時には、モビリティに関連する域外の企業にも参加していただき、「イオンモール多摩平の森」で住民の方々と一緒に、これからのモビリティを考えるワークショップを開いたり、生活者の移動に関する関心や課題認識を企業の方々にも聞いていただきました。
――大業も今や、市民の力を必要としている時代なのですね。
そうですね。やはり民間の企業さんも、これからどういうニーズが社会の中に生まれるかということに敏感になっていて、実ユーザーとの対話を求めています。ですから、行政としてはそれに応えるような場づくりをしたいと考えて、こういった連携を進めさせていただいています。
このほかにも、地元の企業さんと介護事業者さんが連携をして、在宅介護のための見守りシステムの実証研究を行ったり、先ほどの通信事業者さんと一緒に、多世代をつなぐスキルシェアアプリサービスの開発・実験を行ったりもしました。このアプリサービスはコロナ流行のタイミングと重なってしまい、社会実装には至りませんでしたが、参加をいただいた方からは非常に好評を得ていましたね。企業さんも手ごたえを感じておられたようです。ほかにも、多摩地域の酒造会社と「豊田ビール」の復刻など、さまざまな連携が行われてきましたが、さまざまな試行の取り組みや社会実験というものを、地域ぐるみで、数多く行っているというところは、多摩平地域ならではの特徴かと思います。
世代間を超えた交流が、子育て世代のサポートとしても活きる街
――今後はさらに、若い世代の方が多く移り住んで来られると思いますが、特に子育て世代向けた事業についてはいかがでしょう?
日野市独自というわけではないかと思いますが、イオンモールの横にある「多摩平の森ふれあい館」では、NPOのファミリーサポートセンターさんが、子育て世代のサポート事業をしながら、多世代のつながり作りに取り組んでくださっています。また、地域にはさまざまなサークル活動などもありますので、子育て世代の方にとっても、いろいろな出会いや、生きがいを得やすい地区なのかな、とは思っています。
また、いろいろな声を聴いている中で、私達も改めて気づいたことなのですが、子育て中のお母さん達は、決して同世代とのコミュニケーションだけを求めているのではなく、そのきっかけがつかめないだけで先輩世代、親世代など、多世代にわたるコミュニケーションも求めているのです。ですので、子育て世代の方に向けては、今後はそういった世代を超えてつながれる環境を増やしていきたいと思っています。子育て世代の方々が孤立することなく、地域の中で何らかの役割を見つけて活躍できるようなチャンスも作っていきたいと考えています。
コロナ禍になる前には、新しいお祭りや、夕涼み会といったものが住民主体で生み出され、盛り上がりを見せていました。こういった住民イベントも現在は休止になってしまい、住民同士のコミュニケーションの機会が失われてしまっているわけですが、そういったものがまた復活していけば、世代を超えた交流につながると思います。
コロナ禍や新たな時代のライフスタイルが、地域を意識する機会にもなる
――反対にリモートワークなどの普及により、地域に居る時間が増えた方もいると思いますが、そういった方々との関わりはいかがでしょうか?
はい、実際に「会社に行かなくて楽にはなったけれども、コミュニケーションの機会が減ってしまった」といった悩みや、「住んでいる地域に対して、意外とつながりを持っていなかったことに改めて気がついた」といった声を聞くこともありますね。
その一方で、もともと多摩平には地元の企業に通いながら、この地域や近隣に暮らしている、という方や研究職の方も多く住まわれている地域でもあります。そういった方々にとっては、日々研究をしている対象はこの社会ですので、「社会でどういうニーズが生まれているのか」「どういう課題がこれから起きてくるのか」といったことを、常に探しておられるわけです。
「PlanT」もそのひとつですが、自宅から歩いていける範囲に、そういった地域の声を直接聞けたり、交流できる場所がたくさん存在している。このメリットは大きいと思っています。テレワークの時代になって、企業さんの目がますます地域に向き始めている、というところも感じています。
――社会全体の意識が暮らしている地域に向いてきているのですね。「雨降って地固まる」という流れになれば良いですね。
そうですね。ある種このコロナ禍は「災害」に近い状況だと思いますが、そもそもの「団地」というものが生まれたきっかけは関東大震災だったんです。震災の後に住宅不足解消のために「同潤会アパート」という集合住宅が整備され、それが都市型集合住宅である団地の原点になった。そして当時、帝都復興院総裁であった後藤新平が『もとに戻すのではなく新しい街をつくること』を目指したんです。
同様に、今回のコロナ禍を災害として考えるのであれば、「元に戻す」ではなく、より災害に強い、新しい社会を作ることが必要だと思うんです。そういった意味では、新しい関係が生まれ、新しい働き方が生まれて、それに対応した社会になっていくということが、今必要なことではないかと考えています。
これから住む人も、一緒に地域に関わり、街を育ててほしい
――最後に、これから新たに多摩平に住む方や住みたい方に向けて一言お願いします。
これからは地域の中で、「居場所」または「役割」を持つということが、本当に必要な社会になってくると思います。ただ、それは決して面倒なこと、余計なことではなく、それこそが自分のQOL(生活の質)を高めることに結びついていくと思っています。
私は、そこに暮らす人たちが、街とどうやって関わるかによって、街の価値も、暮らしやすさも、変わってくるものだと思っています。ですので、これからお住まいになる方にはぜひ、なんらかの形で地域に関わりを持って、役割を担ってほしいと思っています。それが「街を育てる」ということにもなりますし、まちの価値を高め、また自分の暮らしの価値を高めることにもつながると思います。
また一方では、地球温暖化や天災も含め、社会的には非常に厳しい状況が続いています。こうした状況の中で、我々行政としては、地域の方と力を合わせて、社会課題の克服にあたっていきたいと思っています。
多摩平は先人たちの思いが詰まった素晴らしい地域ですので、これからここにお住まいになる方にも、そういった問題意識を共有して、一緒に課題解決に取り組んでいただければと思います。
日野市企画経営課
戦略係 中平健二朗さん
※この情報は2021(令和3)年9月時点のものです。
時代・地域の課題をとらえ「多世代共住型のまちづくり」を進める多摩平団地再生事業/日野市企画経営課(東京都)
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