目黒川から「都立林試の森公園」まで、歴史を訪ねて散策してみます。
目黒川から「都立林試の森公園」まで、歴史を訪ねて散策してみます。
下目黒二丁目にて現在建設中の「リビオ目黒 ザ・プレイス」は、「目黒」駅から徒歩7分。都市の躍動と目黒川の安らぎが調和する、利便性に優れた地にあります。また、下目黒二丁目周辺は、この地の歴史を刻んできた寺社や、由緒を継承した趣のあるスポットが多数あり、古き良き風情を今も残すエリアでもあります。今日は、「リビオ目黒 ザ・プレイス」建設地近くの目黒川から、豊かな自然を誇る「都立林試の森公園」エリアまで、歴史散策をしてレポートしたいと思います。
「目黒」駅前から「権之助坂」を下ると目黒川の上に架かる「目黒新橋」が見えてきます。それでは、この橋からスタートしましょう。
江戸時代初期からあったとされる「目黒新橋」ですが、1933(昭和8)年にアーチ橋として架け替えられました。東京の著名橋としても指定されており、目黒川に架かる数多くの橋の中でも、最も風格を感じさせる橋です。春には目黒川の両岸に桜が咲き誇り、都内屈指の花見スポットとして多くの人の目を楽しませてくれます。
「目黒新橋」から「大鳥神社」までの目黒通り両サイドにはアーケードが続いています。「大鳥前商店街」です。昭和初期に誕生し、当時から刻まれた歴史と、現代の利便性を併せ持つ活気のある商店街です。毎年7月に「大鳥神社」にて「目黒ミュージックフェスタ」を開催するなど、盛り上がりを見せている商店街です。
「大鳥神社」は806(大同元)年に社殿が造営され、1200年余の歴史をもつ神社です。主祭神は日本武尊さまで、かつて日本武尊が東国の蝦夷を平定した際に立ち寄り、東夷平定と部下の病の治癒を祈願したところ、願いが叶ったと言われています。日本武尊が献上したといわれる剣は、「大鳥神社」の神宝となっています。剣を使って踊る太々神楽(だいだいかぐら)「剣の舞」が伝えられ、毎年9月に「例大祭」で奉納されます。また、11月のとりの日には「酉の市」が開催され、商売繁盛・開運・招福の神様として、多くの人達の信仰を集めています。
「大鳥神社」の南には「目黒不動瀧泉寺」があります。落語の「目黒のさんま」は、この付近にある参詣者の休息茶屋が舞台とされ、また、棒状に伸ばした練飴を包丁でトントン切っていく目黒飴の店が繁盛するなど、江戸時代には一般庶民の行楽地として親しまれていました。
また、サツマイモの試作・普及に努めた甘藷先生こと青木昆陽氏のお墓が裏手にあることでも有名です。毎年10月には甘藷先生の遺徳をしのんで「甘藷まつり」が盛大に催されます。
「目黒不動瀧泉寺」より西側、「目黒区立不動小学校」の辺りには、1907(明治40)年に日本競馬会によって開設された「目黒競馬場」がありました。走馬をファンに見せる引馬場も併設した目新しい競馬場は、当時、多くの人で賑わいましたが、宅地化が進んだことなどから1933(昭和8)年に府中市へ移転しています。下目黒四丁目の競馬場外周の道や、目黒通りの「元競馬場前」というバス停がかつて面影を残しています。
「都立林試の森公園」は、ここが都会であることを忘れてしまいそうなほど、自然豊かで広大な森の公園です。かつては「林業試験場」だったそうで、1900(明治33)年に開設されました。100年以上の歴史から、幹回り3メートルを超える巨樹が多数あります。明治から大正にかけて、都心に近い上、畑や野原が大部分を占めていた目黒には、他にも多くの研究所が設けられました。北里研究所目黒支所(現在、NTT唐ヶ崎ビル)では、免疫実験のために馬や牛、豚なども飼われていたそうです。
紀元前の旧石器時代からすでに人々が生活していたと考えられる目黒エリアは、時代ごとに様々な歴史を積み重ねてきました。現在、「目黒」駅を中心に商業、文化、自然が一体となった利便性の高い都市環境でありながらも、由緒ある歴史を継承し、懐かしい雰囲気や伝統を大切に残している街であることが分かりました。
「目黒川から『都立林試の森公園』まで、歴史を訪ねて散策してみます。」 発見ポイント!
- (1)古くからの逸話が伝わる寺社など、歴史が継承された地である
- (2)目黒川にかかる美しいアーチ橋の「目黒新橋」がある
- (3)懐かしいアーケードの「大鳥前商店街」が健在
目黒川から「都立林試の森公園」まで、歴史を訪ねて散策してみます。
所在地:東京都目黒区