心を映す花の美しさを東中野から伝え・育む/深雪アートフラワー(東京都)
東中野5丁目の住宅地にある3階建て建物。中に入ると、店内のディスプレイや階段の踊り場などで美しい花に目を奪われ、よく目を凝らすと工芸品であることに気がつく。これは一般的な造花とは異なり、布生地などの柔らかな素材を用いた繊細さが特徴の、オートクチュール・フラワー「深雪アートフラワー」の作品たちだ。
創始者である飯田深雪氏が70年以上も前に生み出した造花を起源に、その娘である二代目・飯田倫子(ともこ)氏、そして現在は愛弟子である三代目・飯田恵秀さんに、その心や技術が受け継がれている。そして、ここはそのアートフラワーを中心に、さまざまなクラフトの教室やワークショップ、商品企画、生産・販売を通じて、ものを作ることの魅力を発信している「SS MIYUKI studio」だ。今回は、その「深雪アートフラワー」の三代目主宰・飯田恵秀さんと、スタジオの代表取締役 高橋靖彦さんを訪ね、アートフラワーや東中野の街についてお話を伺った。
焼け野原だった東中野。ガウンの裾から作ったコクリコ(けし)の花が始まり。
――まずは、「深雪アートフラワー」の歴史と、アートフラワーならではの特徴についてお聞かせください。
三代目主宰 飯田恵秀さん : 「深雪スタジオ」も設立は1964(昭和39)年ですが、「深雪アートフラワー」の歴史はさらに遡ります。
空襲によりこの東中野辺りも新宿まで見渡せるほどの焼け野原になってしまっていた終戦後、創始者である飯田深雪が、自分のガウンの裾を切ってコクリコ(けし)の花を作ったことに始まると聞いています。その後も、深雪はそのガウンが上着の丈になるくらいまでさまざまな花を作り、それがアートフラワーの原型になったようです。
もともと、深雪は外交官婦人だったので、外国で生活をしていた時期がありました。その頃に、服の余りきれを使ってコサージュを作り身に着け、社交界の催しに出かけていたそうです。それが周りの方たちの目を引いて、「私にも作ってほしい」という声が多くあったそうとか。そうして、海外にいた頃から花を模したコサージュを作っていたと言われています。
また、深雪は身近に花が多くある家に育ち、子どもの頃から花が大好きでしたが、当時から、世間一般にあった造花は「とても嫌い」だったそうなんですね。「花はこんなにカサカサしたものではない。柔らかくて、優しいものだ。」といつも話していたと聞いてます。そういった思いから、今までの造花には無い、「柔らかく、優しい花」を作り始め、アートフラワーとなりました。この「アートフラワー」という名前も、深雪が命名したものです。
今は成形に「コテ」という道具を使ったり、専用の染め物を使っていますけれども、初期の頃には、白いシャツを切って食紅で染めたり、最初は火鉢の箸の頭を温めたもので丸みをつけたり、スプーンやナイフを使って、筋を作ったりしていたそうです。それが70年以上を経て、さまざまな色や形の花が作れるように進化してきた、というのが「深雪アートフラワー」の大まかなの歴史になります。
――アートフラワーはどのようにして、人に知られ、広がっていったのでしょうか。
恵秀さん:お話の通り、飯田深雪は最初はあくまで自分のために作っていたようですが、当時この場所よりも少し下の通りに深雪の自宅があり、そこに近所のお嬢さんたちがお料理を習いに来ていて、たまたまお部屋に飾ってあったアートフラワー(の原型)を見て、「このお花も習いたい」とおっしゃってくださったそうなんです。そこで、料理だけではなく、アートフラワーの作り方も教えるようになり、やがて生徒さんが増えて手狭になったため、自宅とは別に「深雪スタジオ」を設立したということです。
アートフラワーに魅了され、才能を見出された出会いから、現在へ。
――血縁関係のない恵秀さんがどのように三代目と成られたのでしょうか。また、これまでどのようにして技術を受け継がれてきたのでしょうか。
恵秀さん:はい、今は「飯田恵秀」という名前を使わせていただいていますけれども、もともとは弟子のひとりです。先程お話したように、「深雪アートフラワー」は飯田深雪が一人で始め、やがて、その長女の倫子が主幹という立場で教えるようになったのですが、実はその後、後継者が決まっておりませんでした。深雪はクリスチャンだったものですから、毎日のように「二代目の跡を継ぐ後継者が欲しい」とお祈りをしていたそうなんです。「そこにあなたが来たんだよ」と(笑)。
私は愛知県の出身で、深雪・倫子の著書を見て、アートフラワー作りを独学で10年程やっていました。それから縁があって、深雪・倫子と直接会う関係になりまして、私が28歳くらいの時に、「上京する気はないか」と声をかけていただいて、「深雪スタジオ」にやって来ました。それからは先生方のそばで、お仕事を見ながら手伝わせていただいて、やがて講師になり、生徒さんに教えたりするようになりました。
私がここへ来て5年くらいで二代目・倫子が、さらにその5年後に深雪が亡くなり、三代目を襲名し、現在、先生方に教えていただいたことを、私から生徒さんたちにお教えしています。
――恵秀さんはなぜ、アートフラワーに魅了されたのでしょうか?
恵秀さん:私は子どもの頃から手工芸が好きな、ちょっと変わった子どもだったんです。自分で花の種を蒔いたり、苗を植えて育てるのが大好きで、「自分のそばでずっと咲き続けてくれる花がほしい」という思いが昔からありました。
アートフラワーを知った時、「これだ!」と思ったんです。最初にその存在を知ったのは、『婦人画報』という女性誌に載っていた飯田深雪の記事でした。その時から「何としてもやりたい」と思っていて、そのあとに『婦人百科』というテレビ番組でアートフラワーの作り方を見ることができ、自分で作るようになりました。それが中学生くらいの時でした。
代表取締役 高橋さん: ご自身の口からは言いにくいと思うのですが、恵秀先生の特徴は、お花が好きとか、手工芸が好きということももちろんありますけれども、それ以上に、お花の形や色を出す才能が傑出していたんです。倫子先生も深雪先生も、それまで自分の身の回りに人を置くということは無く、彼を東京に呼び寄せて、身の回りに置いたという時点で特別でした。お二方の先生が、その才能を見抜かれていたんですね。
心を映す、「アートフラワー」の魅力。
――そもそも、一般的な「造花」と「アートフラワー」の違いとは、どのような点にあるのでしょうか?
恵秀さん:飯田深雪はアートフラワーのことを時折、「心で描く立体の絵画」と表現していました。ただ野の花を模写するだけではなく、そこに何か「自分の思いを入れる」ということが、まずひとつ、違うところかと思います。
深雪に言わせれば、「本物そっくりに作った」というものは、アートフラワーではないのです。深雪はそういったものを「標本みたいね」と言い、「標本ではなくて、芸術品を作らないとだめなのよ」と、とよく言っていました。
また、そのためには気持ちの持ち方も大事である、と。「心の中にいつも不平や不満を持って、愚痴ばかりを口に出しているといい花ができないから。感謝の心を持って、いつでも謙虚でいること。そういうことが、アートフラワーには大事よ」、「神様が作られた花を、作らせていただくという気持ちで作りなさい」ということも、顔を見れば、口癖のように言っていました。そうした心が宿っているものが、「アートフラワー」なんですね。
――恵秀さんの作品ならではの特徴があれば教えてください。
恵秀さん:色については、もともとの飯田深雪の色をなるべく守るようにはしていますが、昔の色よりはやや鮮やかにしています。私の思いとしては、アートフラワーはある程度完成された技術なので、それを変えるというよりは、「どうやったらより作りやすくなるか」ということを追求したいと思っています。たとえば、従来は花びら1枚1枚を個別に作っていましたが、どことどこをつなげて型紙を作ればより手軽に同じものが作れるのか、というようなイメージですね。
――なるほど。より沢山の人が、アートフラワーに取り組めるような導きをされているのですね。一輪のお花を作るのに、どれくらいの時間がかかるものなのでしょうか?
恵秀さん:物にもよりますが、バラの花でしたら私は1、2時間に1本くらいは作ります。生徒さんですとその倍くらいの時間だと思います。
高橋さん:いえ、生徒さんだと1日はかかりますよ(笑)。
恵秀さん:今は「カット」という、既に型に切ってある材料がありますから、それを駆使しながら作っていますけれども、中にはカットが無い花もありまして、そういったものはもっと時間がかかります。
たとえば、ここ3年くらい取り組んでいる絶滅危惧種の野草シリーズなど、繊細なものは、ひとつひとつ花びらを手で切り、花粉なども手作りしていますから、非常に時間がかかります。
生活を豊かにする花の美しさを、より身近な存在に。
――ここまで花に向き合う「心」や技法の話をお聞きしましたが、アートフラワーを伝える、広めるという活動に関してはいかがでしょう?
恵秀さん:「深雪アートフラワー」としては70年以上このアートフラワーというものをやって来ていますので、私達は当然みなさんも知っているだろう、という思い込みがあります。しかし、実際にはアートフラワーを知らない若い方々なども多く、「これだけ多くの花が花屋さんで売られているのに、どうしてわざわざ布で花を作るの?」といった素朴な疑問を聞くようなこともあるので、もっともっと、アートフラワーの良さを伝える活動は必要だと思っています。
――生花や造花では得られない、「アートフラワー」ならではの利点や表現力には、どのようなものがあるのでしょうか。
恵秀さん:アートフラワーはもちろん、つぼみが開くことはありませんが、花が散ることもないわけです。水もいらないですし、時々ホコリをはらうくらいで、30年程は美しくその形を保ってくれます。ですから、自分が好きな、一番美しいと感じる花の姿をいつも楽しむことができるんです。
日中働いていて自宅にいる時間が短い方などは、せっかく花を飾っても、生花だとキレイな姿を目にできる時間も短いわけですが、アートフラワーではそのようなことはありません。また、アートフラワーには生花にはできない表現力もあり、例えばモノトーンを基調としたお部屋に似合う、モノトーンの色合いの花なども作れるわけです。そうした時間に影響されないという特徴や表現力の幅から、みなさんが日頃見ているコマーシャルやドラマなどでもアートフラワーが登場していたりもするんですよ。
好きな絵を壁に掛けて飾るみたいに、インテリアの一部として皆さんに使っていただいて、まずはアートフラワーの魅力を身近に感じていただければ嬉しいです。飯田深雪が焼け野原に美しい花を欲したように、花は日々に豊かさをくれます。深雪自身も生前、「これからの日本人は、庭付きの家に住むような人は少なくなり、マンション住まいになると思うけれど、でも、絶対に花を身近に飾りたいと思うはずなので、これからアートフラワーが活躍するはずだよ」とよく言っていました。
――余談ですが、戦争よりも前の明治時代にはこの東中野辺りに「華州園(かしゅうえん)」という植物園があったそうですね。
恵秀さん:私もこの辺りの歴史を調べ、「華州園」という存在は知っていたのですが、それが東京に花を供給するための花園であったということは、今回の取材の前に聞いて初めて知りました。いかに花というものが、人間の生活に必要なものなのかということですよね。
地域との関わりで見える、東中野の魅力。街を育てる活動も。
――東中野の街について、どのような街だとお感じですか?
高橋さん:2020(令和2)年6月に旧スタジオから真向かいのこちらに移ってから、建物1階に新たに「Kukkula(クックラ)」というアートフラワーやクラフト商材を揃える店舗をオープンし、そこでさまざまなイベントを行うようになりました。そういったイベントを通してご近所の方たちと触れあう機会も増えてた中で感じるのは、まず、東中野には長くお住まいの方が多いということです。初老のご夫婦から、お子さん連れの方まで、2代、3代と住まわれている方が多い印象で、それだけ暮らしやすい街なのだろうと思います。
また、この「Kukkula」という店名はフィンランド語で「丘」という意味なのですが、この東中野5丁目付近はやや高台になった場所にあり、交通量も少なく、東中野駅周辺の雰囲気とは異なる落ち着いた住宅地ですが、近所の公園や保育園から子どもたちのにぎやかな声も聞こえてきます。
――そうしたご近所のお子さんに向けての情報発信やイベント開催などもされているそうですね。
高橋さん:そうですね、私達の会社の理念として、「つくるを育てる」というものがあります。アートフラワーのほかにも、小さいお子さんたちに、「作る」ということを体験してもらえるようなワークショップも開いており、参加者も回を重ねる度に増えてきています。今や常連のお子さんもいまして、「次はいつやるの?」と楽しみにしてくださっていますね。
――本日(取材時の12月)建物の外にクリスマスツリーが飾られていますが、こちらもお子さんたちと作ったものだとお聞きました。
高橋さん:約10年程前からでしょうか、以前の建物でも毎年クリスマスツリーを立てていて、それが古くなってしまったため建て替えのタイミングで一旦やめてしまったのですが、ご近所の方から「今年はツリーを立てないんですか?」と残念がられる声を聞きまして、「やっぱり立てようか」と昨年からまた復活させたものが、ご覧いただいたツリーです。装飾のデザインは恵秀が考えたものですが、一部にはイベントの時にお子さんたちに作ってもらった飾りも使っています。
通りすがりに、「僕、私が作ったんだよ」と、お子さんが親御さんたちに説明していたりする姿も見かけ、そういう光景を見ると、復活させて良かったと感じますね。こうした経験を通して、近所のお子さんたちに「作るって楽しいね」という思いを抱いてもらえたらなと思っています。
恵秀さん:アートフラワーをはじめとした、さまざまなクラフトをこの場所でやっていますので、「作る」ということに興味のある方はぜひ気軽にいらしていただければ嬉しいです。作ったものを売るとかではなく、自分の楽しみとして、心を豊かにするものとして、クラフトを楽しんでいただきたいです。
高橋さん:東中野5丁目町会の方々とお話をすることも多いのですが、その中で「街を育てたい」という思いを強く感じています。私どもも同じ思いを持っているのですが、やはり、この街に新しく住む皆さんにも、そういった思いを共有していただいて、街を一緒に育んでいってもらえたら、もっともっと、素晴らしい街にできるのかな、と思っています。
――「深雪アートフラワー」や東中野の街の魅力について、さまざまなお話をありがとうございました!
深雪アートフラワー 三代目主宰 飯田恵秀さん(左)
株式会社 SS MIYUKI studio 代表取締役 高橋靖彦さん(右)
SS MIYUKI studio
東京都中野区東中野5-16-4
03-3363-4511
URL:https://ss-miyuki.com/
※この情報は2021(令和3)年12月時点のものです。
心を映す花の美しさを東中野から伝え・育む/深雪アートフラワー(東京都)
所在地:東京都中野区東中野5-16-4
電話番号:03-3363-4511
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