新橋駅前が大きく変わる?新橋の歴史から再開発の気になる状況まで伺ってきました!/新橋駅東口地区再開発協議会(東京都)
日本の鉄道発祥の地のひとつであり、現在も交通の要衝として重要な役割を担っている新橋駅周辺エリア。このエリアでは2018(平成30)年現在、西口側、東口側ともに大規模な再開発事業が検討されている。行政による認可前のため正式な発表はなされていないが、東西それぞれに、地権者が参加する再開発のための準備団体が設立され、具体的な検討を行いながら、認可に向けた行政側との交渉を進めているという。
今回はこのうち東口側の「新橋駅前ビル管理組合法人」の事務局を訪ね、これまでの経緯と新橋駅周辺の街の変遷、具体的な計画案、目指す将来の街の姿などについて、幅広くお話を聞くことができた。
お話を伺ったのは、駅東口側に建つ「新橋駅前ビル管理組合法人」で理事長を務める川田圭子さん。川田さんは「新橋駅東口地区再開発協議会」でも加藤功時会長のもと、副会長を務められている。祖父の代から新橋に物件を持ち、ビル内で不動産業を営むかたわら、いくつかのテナントのオーナーでもあるという。女性ならではの目線で街づくりに参画している川田さんは、どのような未来像を描いているのだろうか。
温めてきた思いの実現に向けて、動き始めた再開発
――まず、「新橋駅東口地区再開発協議会」発足までの経緯を教えてください
川田さん:そもそも大前提として、「再開発」については、まだ行政から正式に認可されているものではありませんので、「2020年までに再開発に関する都市計画決定を取得すること」を目標にして、現在検討を重ねているという段階になります。その正式な意見表明の窓口がこの協議会で、2017(平成29)年の3月19日に発足いたしました。
実はもっと以前から、「建て替えをしたい」といった声は、あちらこちらから上がっていました。ただ、新橋は西口側も東口側も、もともと「市街地改造法」という法律のもとで、今のいわゆる「再開発」同様に、行政のお手伝いをいただいて整備された地区ですので、なかなか「再開発をもう一度したい」ということは言い出せませんでした。
ですからこのビルも、西口側の「ニュー新橋ビル」も、それぞれ「単独で建て替えをしよう」ということで、検討されていました。ところが、いろいろな制限をクリアするためには、両方のビルともに、これ以上大きな建物を作ることはできないという状況がありまして、「地権者でお金を出し合って建て替えるというのは難しいようだ」と、半ば諦めていたのです。
ところが、いろいろなところで再開発の計画が出てきて、汐留も虎ノ門も整備がされまして、新橋を囲む状況は大きく変わってきました。そこで、まず西口側が、再開発に向けた組織を作り、認可を得るために動きはじめ、では東口のほうも再開発に向けて動き出そうと、2016(平成28)年から、このビルの権利者(区分所有者)を集めて勉強会を何度か開きました。そこからだんだん膨らませていって、昨年、協議会を発足させたという次第です。
――新橋駅東口側の再開発の全体像について教えて下さい
川田さん:まだ検討段階ということで、決定事項としては何も言えないのですが、再開発地域については、「新橋」駅と線路、外堀通り、第一京浜という、3つの線で囲まれた三角地帯を検討しています。現在は東口に交通網がすべて集中している状況ですので、まずはこちらの整理から検討が始まり、それがある程度見えたところで、具体的にどういうビルを建てようか、という話に入っていくかと思います。
開発のポリシーは「地域をよりよいものにしよう」です。まずは交通網の整備をしたうえで、バリアフリーをより充実させるなど、みなさんが今までよりも便利に、安全にご利用できるような街づくりをしていきたいと思っています。工事については、鉄道の開業150周年に合わせまして、2022年には着工したいと考えていますが、これもまだ決まったものではありません。
日本の鉄道の歴史と共に歩んできた街
――新橋エリアの歴史、変遷について教えてください
川田さん:新橋はご存知のように、日本で最初に鉄道が開通した駅のひとつで、1872(明治5)年に新橋と横浜の間に鉄道が開業したのをきっかけに発展してきた街です。戦前までに沢山の店もあったそうですが、第二次世界大戦の時には、空襲の延焼を防ぐために建物疎開が行われて、「新橋」駅周辺はほとんど空き地のような状況になったそうです。
終戦後は、駅前にいわゆる「闇市」が立っていって、そこからまた「新橋」駅のまわりに街ができ、まずは西口に「新生マーケット」という木造2階建てのマーケットができました。東口はそれよりも少し遅れて、現在の新橋駅前ビル2号館のあたりに「国際マーケット」が、1号館のあたりには「狸小路共栄会」という商店街もできていきました。飲み屋街を中心にいろいろな職種の店が集まり、銀行もあれば、散髪屋、レストラン、販売の店まで、といった感じだったようです。
そんな中で、「市街地改造法」(現行の都市再開発法の全身となる法律)が制定され、「新橋」駅周辺はこうした状況でしたから、これを機に整備しようと東京都が主導して整備を進めてくださり、点在していた商店をまとめる形でこの「新橋駅前ビル」が1966(昭和41)年に完成しました。西口側の「ニュー新橋ビル」は地権者の数が多いこともあって意見の集約に時間を要したそうで、その5年後の1971(昭和46)に完成しました。
こうして、新橋の駅の両側に大きなビルができてからは、まただんだんと店も増えて街が繁栄し、ご存知のような飲み屋さんが特徴的な新橋の街ができていきました。
変わりゆく景色と変わらない魅力
――周辺の街では汐留、虎ノ門と再開発が続きましたね。その変化についてはどうお感じですか?
川田さん:周りの街も変わりましたね。虎ノ門のほうには新しいオフィスも沢山できましたし、特に若い方が増えた印象があります。昔はこの辺りの飲み屋にいらっしゃるのはおじさん方がほとんどでしたが、最近は若い方、特に女性が増えたと飲食店の店主さんから聞いています。
汐留の開発についても大きなオフィスができましたので、やはり若い方が非常に増えました。実は汐留の開発の前までは、「汐留ができるとあちらでご飯を食べてしまうので、ここのビルは廃墟になってしまうのではないか」といった声も挙がっていたのですが、実際に開発が進んでいくとむしろ「お客様の層が厚くなっていい傾向になっている」という声が聞かれるようになって、現在に至っています。
やはり、JRの駅に近くて、安くて気軽に楽しめる新橋のお店というのは、日々使われる方にとっては便利なんでしょうね。このビルの店舗に関して言えば、全体的には売り上げが増えているお店のほうが多いのではないかと思います。最近も恵比寿に本店がある若い世代の方にも人気のお店が入ったのですよ。
――今回の再開発について、全体のビジョンを一言で言えば何でしょうか?
川田さん:一言で言うのなら、住んでいる方にも、街を利用される皆様にも、「安全・安心な街」にしていきたいということです。今までの「新橋」駅周辺は、エレベーターもエスカレーターも不足していて、バリアフリー対策が遅れていましたし、どうしても男性が多かったり、酔った方が多かったりしますので、安全・安心という部分は足りていなかったかと思います。ですからこの開発をきっかけに、「安心・安全、住みやすい、働きやすい」という街を、目指していきたいと思っております。
――最後に、新橋の街の魅力を教えてください!
川田さん:私は、「古いのに新しい」というところが一番の魅力だと思っています。「烏森神社」があって、その近くには、本当に古い古い老舗のお店もあって、すごく日本らしい、歴史を感じさせてくれる部分がありますし、それが「特別な存在」ではなくて、いまも生きている、生活に密着したものとして、皆さんに親しまれているんです。またその一方で、銀座にもとても近いですから、銀座から新しさもどんどん入ってきて、新しさと古さがうまく共存できている街だと思います。
でもやっぱり、「気楽に飲める街」というところも特徴であり魅力ですよね。汐留や虎ノ門からたくさん人が来られているように、新橋と言えば、安く気軽に飲める。一般的には、やはりそこなのかもしれません。そういった魅力的な部分も残しながら、うまく再開発を進めていかれれば、と考えております。
今回はあまり詳しいお話まではできませんでしたが、今後新しいことが決まってきましたら、順次、協議会のホームページで発表していきますので、併せてご覧いただければと思います。
新橋駅前ビル管理組合法人 理事長 川田圭子さん
新橋駅東口地区再開発協議会(会長:加藤功時)
URL:https://shinbashi-east2022.com/
※この情報は2018(平成30)年7月時点のものです。