大人も子どもも楽しみながら学べる、高岡のまちの歴史文化を伝える/高岡市立博物館(富山県)
「高岡古城公園」の敷地内にある「高岡市立博物館」。子どもから大人まで、楽しみながら高岡の歴史文化を学べることをコンセプトとした常設展示は、高岡市民や観光客に広く親しまれています。
今回は、1998(平成10)年から同館で学芸員を務める仁ヶ竹(にがたけ)さんに、高岡の歴史や博物館についてお話をお伺いしました。
楽しみながらいつの間にか学べることがコンセプト
――まず、「高岡市立博物館」の歴史や概要について教えてください。
仁ヶ竹さん 「高岡市立博物館」が開館したのは1970(昭和45)年。昨年50周年を迎えました。常設展示場の建物は、70年前と非常に古い時期に建てられたものです。
1951(昭和26)年、戦後復興を目的にした「高岡産業博覧会」がこの博物館のある高岡古城公園一帯で開かれました。そのときの美術館パビリオンとして建てられたのがこの建物です。その後、長らく市立美術館として活用されました。1994(平成6)年に美術館が現在地(高岡市中川1-1-30)に移転し、1997(平成9)年頃から博物館常設展示場として活用されました。2007(平成19)年にリニューアルをし、現在の形になっています。
当館はわかりやすさを第一にし、映像や航空写真、ジグソーパズル、雑学クイズ、体験コーナーなど、楽しみながらいつの間にか学べてしまうということをコンセプトとしています。
子どもたちが親しみやすいだけでなく、観光客の方も高岡についてほとんど予備知識がないので、ゼロからわかりやすく高岡の歴史や文化の概要をお伝えできるように工夫しています。
2007(平成19)年の常設展リニューアルの際、博物館のキャラクターを作ることになりました。
それで誕生したのが「利長くん」です。私もデザイン考案に携わりました。高岡の生みの親というべき前田利長をモチーフにしたキャラクターで、博物館生まれではありますが、2009(平成21)年の高岡開町400年のキャラクターを経て、今や市の公式キャラクターにまで出世しました。2010(平成22)年開催の「第1回ミュージアムキャラクターアワード」(インターネットミュージアム主催)ではなんと1位を獲得!生みの親である私もびっくりです(笑)。
――そんな博物館の中で、特におすすめの展示は何でしょうか?
仁ヶ竹さん 全部!と言いたいところですが…特ににぎわっているのは、「利長くんの兜をかぶってみよう!」というコーナーです。
長さ130cmもある、一説には日本一長いとも言われている前田利長の兜のレプリカを作り、記念撮影できるコーナーも作りました。1m弱の子ども用兜もあり、子どもから大人までみなさんに楽しんでいただいています。
前田利長・利常、2代にわたって築かれた「経済都市」としての基盤
――江戸時代初期の築城により始まり、様々な歴史を刻んできた「高岡」ですが、街の成り立ちや歴史について教えてください。
仁ヶ竹さん もともとは「関野」と言われる何もないところに、1609(慶長14)年、加賀藩の前田利長が高岡城をゼロから築城し、開町したのが「高岡」というまちの始まりです。
前田利長は、「利家とまつ」という大河ドラマでも知られる前田利家の長男。利家の死後、“慶長の危機”とも呼ばれる、関ヶ原前夜、前田家にとって一番生き残り競争が厳しい時代を生き抜き、正しい選択で前田家を生き永らえさせた非常に優れたリーダーでした。
1605年(慶長10年)、利長は弟の利常に家督を譲ります。富山城に隠居しますが、その4年後に富山大火が起こり、富山城は消失。
本来なら富山城を再建、もしくはすぐ周辺に築城するのが普通ですが、利長は大火のすぐ後に高岡に城を建てたいと江戸幕府に願い出るのです。そして、とてもスピーディーに、大火の約半年後の9月13日に高岡に入城。これが高岡の始まりです。
高岡城跡は高岡台地の上に築かれ、北から西にかけては台地のガケがしっかりと残り、更に広大な沼沢地が広がっていました。また1609(慶長14)年の築城以来、水堀や郭(くるわ/城内区画)の形状が完全に残されている極めて稀な城です。更に本丸以外全ての郭は当時最強の攻撃・防御の工夫であった「馬出(うまだし)」となっています。2006(平成18)年には富山県で唯一「日本百名城」に選定され、2015(平成27)年には国史跡に指定されており、専門家は口を揃えて高岡城を高く評価しています。
城を築くときには、お寺や砦、館などを整備拡張して作るのが普通ですが、高岡城はまったくゼロから作られたという点で非常に珍しいです。
当時高岡という町ですらなく、農村農家がぽつぽつと存在するぐらいのほぼ何もないところに城を築いたということで、利長も思い通りに設計図を描いて城や町づくりをしたのではないかとされています。
町の防御力を高めるため、道幅を狭め、いたるところにクランク(枡形)を作り敵がまっすぐ進軍するスピードを落とすような造りにしました。また、台地の際(きわ)に用水を通し、寺院を並べる「防衛ライン」を2つ造っています。こうしたクランクや用水は今でも残っています。
防衛上だけでなく、経済的にも発展するようにと、周辺の町から多くの商人・職人らを呼んでいます。中には後に銅器(鋳物)や漆器産業に発展する元になった職人も招いています。
また当時大河であった千保川と小矢部川の合流点に作った「木町」を水運の中心にしました。そして、北陸街道をまちなかに通して、高岡を水陸交通の拠点としました。
開町からわずか5年後、利長は亡くなり、その翌年には一国一城令の発令により、高岡城も廃城となります。
その後利長の遺志を引き継いだ利常は、高岡を商業の町として発展させていくのです。
米や塩、綿、麻などあらゆる物資を高岡に集める政策を出したり免税措置を施したりし、商人たちを高岡にとどめました。
また、現在国宝となっている瑞龍寺を公共工事として約20年かけて建てるなど、「人・物・金」が高岡の町に集まるような工夫をたくさんしました。
その後も高岡は藩から綿の独占販売権を与えられるなど大いに発展を続け、侍はいなくても経済的には潤っているという状態になります。封建的な江戸時代にありながら、近代的で合理的な気風が高まり、「加賀藩の台所」と言われるまでに経済都市として発展していくのです。
利常は当時を代表する全国的にも知られた名君ではありますが、高岡の生みの親は前田利長、育ての親は前田利常、というふうに、高岡の歴史を考えると利長・利常2人セットで考える必要があるのです。
商人たちが育んだ「ものづくりのまち」
――商工業のまちへと変身を遂げ、現在も「ものづくりの街」として発展し続けていますが、長年ものづくりが息づく街となったきっかけや経緯、エピソードなどがあれば教えてください。
仁ヶ竹さん 高岡は「ものづくりのまち」とよく言われますが、実は一番力を持っていたのは商人たち、いわゆる問屋さんです。例えば銅器問屋は、銅器をプロデュースして職人たちに分業制で作るように指示していたんです。
利長によって鋳物師と呼ばれる鋳造の職人たちが高岡に呼ばれたので、江戸の初期からものづくりの人たちはいましたが、圧倒的な規模で商人たちが活躍していました。
商人たちがマーケティング、商品開発から販売まで全て担当していました。また全国の様々な流行を取り入れ、技法も非常にバリエーション豊かなのが特徴です。
しかし、鋳物師らもたくましく、鉄の鍋釜・塩釜・ニシン釜や銅器の仏具・火鉢・花瓶・煙管・梵鐘などさまざまな「ヒット商品」を生み出します。また前田家と真継家という全国の鋳物師を統括した下級公家の支配を受けながら販路を全国に広げています。江戸後期の真継家の台帳では高岡は日本一の鋳物師数を誇っています。
幕末以降、銅器問屋たちは横浜や神戸に進出し、貿易を始めます。廃藩で職を失った富山・加賀藩お抱えの金工職人を取り込み、高岡銅器に美術工芸的要素を加えます。そして高岡銅器を問屋の名前で出品・受賞し、ジャポニズムの風潮を追い風にしながら世界に羽ばたいていった時代もありました。
やがて経済の衰退により問屋の時代が終わりますが、そうして培われた「高岡のものづくり」が今もなお受け継がれているということです。
“ゼロ”から作られたまち、高岡
――ここまで様々な歴史を教えていただきましたが、高岡で最も印象的な歴史的事柄は何でしょうか?
仁ヶ竹さん 高岡らしさ、と考えると、やはり“ゼロから作り上げたまち”というのが一番特徴的じゃないかなと思います。
利長が関野と呼ばれる何もないところに、ゼロから作った城でありまちであると。
ですので、利長が入城した1609年9月13日(新暦10月10日)が高岡の誕生日です。誕生日がわかる街っていうのはなかなかないと思います。
江戸時代の古地図そのままで、まち歩きができる魅力
――「高岡市立博物館に親しむ会」の概要について教えてください。
仁ヶ竹さん いわゆる“友の会”や“サポーターズクラブ”のようなものですが、「歩く博物館」として、会員の方と歴史散策を行ったりしています。
高岡の街は戦災にあっていません。ですので、江戸時代の古地図がそのまま使えます。
町割りや高低差、地名なんかも今と一緒。そういった古地図を見ながら街を歩くこともできるし、各地に残っている史跡や歴史を歴史ファンのみなさんに楽しんでいただいています。
――仁ヶ竹さんの思う高岡の魅力ってなんでしょう?
仁ヶ竹さん 戦災にあっていないからこそ、ゼロから作った町やお城が本物の状態で残っていることが最大の魅力だと思います。
そういったことを、特にお子さんを中心に伝えていきたい。
高岡って実はすごい所だよということを知ってもらえれば、郷土愛にもつながりますし、20年後、30年後に自分の子どもを連れてここに来てくれる人もいると思うんです。
高岡のすばらしさを伝えていけるポイントはこの博物館にはたくさんあります。
――それでは最後に、これから高岡に住む方に向けてメッセージをお願いします!
仁ヶ竹さん 高岡は歴史的にも文化的にも魅力のあるまちです。江戸時代の古地図を使ってまち歩きも楽しめるので、ぜひ歩いて高岡の歴史文化を感じてほしいですね。
最近、私も制作に携わったまち歩きアプリもできたので、ぜひ活用してみてください!
また、博物館は最初にその町の概要を知ることのできる場所だと思っています。
この町はこういう町なんだ、ここにこんな施設や史跡があるんだ、という情報を仕入れる場所。
「高岡市立博物館」もそんな役割を果たせるように、様々な工夫を凝らしたり、高岡のほかの施設をご紹介したりしていますので、“高岡観光のプロローグ”としてぜひ足を運んでみてください。
高岡市立博物館
仁ヶ竹亮介 副主幹学芸員
所在地:富山県高岡市古城1-5
電話番号:0766-20-1572
URL:https://www.e-tmm.info/
※この情報は2021(令和3)年12月時点のものです。
大人も子どもも楽しみながら学べる、高岡のまちの歴史文化を伝える/高岡市立博物館(富山県)
所在地:富山県高岡市古城1-5
電話番号:0766-20-1572
https://www.e-tmm.info/