“地域と学校”の関係に変革をもたらす、あざみ野から望む桐蔭学園のビジョン/桐蔭学園(神奈川県)
横浜市青葉区と川崎市麻生区の境界を作る緑の丘の中、建築家・丹下健三氏による斬新なデザインな校舎が映える「桐蔭学園」。ここは幼稚園から大学までの教育機関をひとつの敷地の中に擁している私立の総合学園で、在校・在園生は幼稚園から大学まですべてを合わせるとおよそ6千人以上。その規模は地域の私学随一のもので、学園の中には公共の道路やバスロータリーもあり、東急、小田急など各社バスもここを発着点としている。
そんな「桐蔭学園」に変革が訪れたのは2019(令和元)年のこと。新たな理事長が登用されることとなり、教育学者であり、国の教育改革にも深く携わってきた溝上慎一氏がこの職に就いた。教育界の重鎮とも言える学者がなぜ、同学園の理事長に就いたのか。今回は溝上理事長が考える学園の経営方針と、地域との関係における話題を主軸に、これからの桐蔭学園と、今後の教育が目指すことなどについて、お話を伺った。
「本物」を経験して、未来のリーダーを育てる学園
――まずは、桐蔭学園の沿革、概要についてお聞かせください。
溝上理事長: 桐蔭学園は1964(昭和39)年に、「公教育ではできない私立ならではの教育」をスローガンとして設立された学園で、現在は6年完全一貫の「中等教育学校」をフラッグシップに、幼稚園、小学校、高等学校、大学を持つ「総合学園」となっています。
私はその学園全体の理事長であると同時に、大学の学長も兼務していますが、大学は「桐蔭横浜大学」として法学部、医用工学部、スポーツ健康政策学部の3学部を持っています。桐蔭学園はスポーツにも力を入れている学園ですので、大学にも健康増進に関する学部があるんです。そして健康増進というものは、これからの世の中の大きな課題になっていくものだと考えています。
施設面については、航空写真を見て分かる通り、幼稚園から大学までが全て同じキャンパスにあり、非常に広大な敷地を擁しています。ラグビー場、サッカー場も大きなものを持っていますし、1,800人近くを収容するシンフォニーホールもあります。ここには時々、交響楽団を呼んだり、松竹大歌舞伎や落語の方を呼んだりしていまして、身近なところで「本物」の体験ができるようになっています。こういった「本物」へのこだわりは、桐蔭学園の昔からの伝統です。
――一般的には、サッカー、ラグビー、野球などスポーツの強豪として有名ですね。
溝上理事長: スポーツは非常に盛んで、多くの生徒が関わっています。ラグビーは全国高校大会で2連覇を達成し、サッカーも昨年度、高校全国大会に出場しました。神奈川県は全国レベルのサッカー強豪校が多いので、ここで優勝するというのは、なかなか難しいことです。
サッカーについてはJリーガーも輩出していまして、昨年は本学園から7人がJリーグに入りました。野球に関しても強豪として知られ、プロの野球選手になった人もたくさんいます。また、柔道についても、本学園出身のオリンピック選手が複数います。スポーツに関しては活躍している人が多く、施設も充実していると思います。
もちろんスポーツ以外でも、例えば、経済界で活躍していたり、プロの演奏家になったり、といった卒業生も多い学校です。
――スポーツを筆頭に、好きなことを存分に伸ばせる学校なんですね。
溝上理事長: そうですね。スポーツがひとつ飛び抜けて目立っていますけれども、それだけではなくて、シンフォニーホールの施設に見られるように、文化や芸術の分野についてもかなり力を入れている学園です。子どもたちにはいろんな「経験」を通して、「本物」に触れてもらって、いずれ大人になった時には、各界でリーダーとして活躍してもらいたい、そういった思いで教育活動を行っています。
「受験で負けない」ことよりも、「社会に出て負けない」ことの大切さ
――進学指導に関しては、どのように取り組んでおられますか?
溝上理事長: 桐蔭学園は進学校ですので、勉強に関してももちろん力を入れて取り組んでいます。ただ桐蔭学園は、「良い大学に入れればいい」という学校ではありたくないと思っています。というのも、今の世の中、ただテストが解けた、いい大学に行った、ということで活躍できる時代ではなくなっているからです。
「いい大学」というのは確かに、頑張った人たちが集まる「いい場所」ではあります。私はそれは否定してはいません。しかし、そこで終わってはダメなんですね。本当に大事なことは、「なぜ大学に入ったのか」「社会に出て何をしたいか」という部分なんです。われわれ桐蔭学園が目指しているのは、その部分です。桐蔭学園では「受験をただ勝ち抜く人材」よりも、文化、芸術、スポーツも含めて、「社会に出て一流の活躍ができる人材」を育てたいと思っています。
――とはいえ、難関大学にも毎年多くの進学実績がありますね。
溝上理事長: 東京大学を狙うような生徒たちはたくさんいます。大きな学園ですので、学力の弱い生徒もいて、幅が広いです。だから勉強はそれぞれ、自分の能力に合わせて頑張る事が出来れば良いと思っています。ただし、「社会に出て負けるなよ」ということは強く言っています。
そのために必要なのはやはり、「アクティブラーニング(受け身ではなく、自ら能動的に学びに向かうよう設計された教授・学習法)」や「探究的な学習」、「キャリア教育」です。私の専門分野ですし、幸いにも産業界にも官界にも、活躍している卒業生が沢山いますので、そういったリソースを活用しながら教育活動を行っています。
パワフルな地域との関わりを通して「学校の在り方」を変えていく
――青葉区、あざみ野といった周辺地域との関わりについて、どのようにお考えでしょうか。
溝上理事長: 桐蔭学園のある地区は「あざみ野」エリアでもあり「青葉区」の一部でもありますけれども、私が思うこのエリアの一番の魅力は、全分野のトップクラスの人が多く住んでいること。プロ野球界の有名人も、芸術関係の方も、ビジネスのトップクラスの人達も住んでいるような地域だということです。実際、本学園にもそういった方のお子さんたちが多く通われています。
子どもたちが卒業した後には、保護者の方達とも交流させていただいて、さまざまなご支援を頂いたり、出演などの形でご協力いただいたりもしています。そういった事も、あざみ野・青葉区の魅力あるところですね。
もうひとつ感じているのは、「自分のライフ」を持っている方が多いということです。ただ「住んでいて便利だよね」ではなく、“第2の名刺”とでも言いますか、仕事以外にもうひとつ、自分の人生を懸けて頑張れる事を持っている方が多いと思います。それはNPOであったり、ボランティアであったり、農作業であったり、人それぞれですけれども。
――そういった住民の方々と関わりながら、近年は学校と連携・協働する機会が増えていると聞きました。
溝上理事長: そうですね。その象徴が「トランジションセンター」です。これは私が着任してから新たに設立したもので、詳しいお話はまたのちほどしますけれども、そもそもの話として、私たちのような「私学」が地域と関わる事というのは、普通はあまり無いことなんです。そういった中で、桐蔭学園は「もっともっと地域に関わっていきたい」と思っている学校です。
これまでは桐蔭学園は、ほかの私学と同様、ほとんど地域との交流をしていませんでしたが、私が着任してから大きく変えました。恐らく、地域にお住まいの方たちもそれは感じてくださっていると思います。「タウンニュース」や「イッツコム」(東急ケーブルテレビ)といったローカルメディアにも、いろいろな機会で取材をしてもらっています。もちろん全国紙からの取材も多くあります。
――確かに、「桐蔭学園」と検索すると、ものすごい情報量の検索結果が出てきます。理事長の顔もちらほら見られますね。
溝上理事長: なぜ私学である桐蔭学園がそんなことをしているかと言えば、私が、地域との連携を通して学校を変えたいと思っているからなんですね。
従来から「学校が地域に関わる」とか、「地域に助けられる学校」という事は、珍しくありませんでした。学校は、何もしなければ閉鎖的になってしまうので、社会について学びたい時には、地域の人たちの助けが有用です。そのため、特に公立の小中学校は「コミュニティスクール」という仕組みを取り入れて、学校運営の中に地域の方を入れるようにしています。
私学は子どもたちが多方面から通って来ます。桐蔭学園の場合は青葉区、都筑区、緑区、川崎市の麻生区、東京の町田市から6、7割くらい、そのほか横浜の市内や、世田谷や八王子など、非常に広範囲から来ています。
そのような子どもたちには、「地元」というものがありません。とくに小学校、中等教育学校に通っている子どもたちは、居住地に学校の友達がいませんから、そこを「地元」とは感じません。全ての児童・生徒にとって、この青葉区は通学路です。ここを彼らの「地元」としていきたい。
――桐蔭学園の子どもたちにとって青葉区が「地元」であると。
溝上理事長: そうです。あざみ野、青葉台、江田、柿生辺りの駅からバスで来る児童・生徒が多くいます。子どもたちは地域の方とふれあいながら、時にはご迷惑をかけながら、学校に通って来ているのです。
私学なので「コミュニティスクール」のような運営はできませんが、本学園としては、地域の方々に「何かを返していきたい」と考えています。私はさらに欲張って、「学校が地域を助ける」と言ったら言い過ぎかもしれないですが、地域の人たちに、こちらから積極的に提案や提供していく学校になりたいと思っています。
たとえば、今多くの大学で「生涯学習講座」という取り組みをしていますが、それは大学からすると付録のような「ついで」の機能です。「ついで」ではなく、地域住民の学びと成長につながる講座やセミナーに本気で取り組みたいと思っています。そこで立ち上げたのが、先ほどの「トランジションセンター」です。
大人たちのための、立場も時間も距離も超えた「知のシェア拠点」
――では、「トランジションセンター」について詳しく教えてください。
溝上理事長: 「トランジションセンター」は学園内の「アカデミウム」という建物の中に置かれていますが、これはもともと大学の中にあった「地域連携・生涯学習センター」を改組して、名称も変え、理事長の直轄のものとして位置付けたものです。
これからの社会には、過去、現在、未来といった「時間」と、「社会的な空間」、たとえば家族、コミュニティ、地域、国、世界といったものを超越して、不確実性の中を歩んでいくことが必要だと考えています。「トランジション」はそのような時間と空間の「移行」を意味するものと考えています。
そのためには、従来やっていた趣味的な、文化センター的な講座ではまったくもの足りないわけです。もっと一流のものを、たとえば教養、文学、歴史、サイエンスといったものを、せっかく私たちはトップの大学人ともつながっているわけですから、地域の人たちにそのような最先端の知を提供すべきだと考えました。
一流の研究者、あるいは一流のビジネスパーソンなど、各分野の一流の方をここに呼んで講演をしていただき、それを地域の人たち、あるいはオンラインであれば全国の人と共有する。そういう場所として、この「トランジションセンター」を活用していきたいと考えています。
――なぜ、そこまでやるのでしょうか。
溝上理事長: それは「ステークホルダー支援」だと考えているからです。桐蔭の場合、高校までの園児・児童・生徒だけでも5千人いるわけですが、多くが青葉区あるいは周辺の地域から通って来ています。言い換えれば、それだけの保護者やご家庭を、私たちはこの地域に抱えているわけですね。
そして「保護者」とは言いつつも、彼らも一人の「大人」でもあります。それぞれが自分の人生を生きています。子育て、生き方、仕事、いろんなことで悩みながら生きていて、同時に私たちにとっては「ステークホルダー(利害関係者)」でもあります。
だから我々は、「ステークホルダー支援」としてこの「トランジションセンター」の機能を位置づけていて、「地域にこういう生涯学習がありますよ」という安易なものではなく、もっと高位の、人生100年時代の、あるいは社会を変革し未来を作り上げていくための社会的なライフ支援としたい、さらにその輪を大きくして、全国に向けての支援にもしたい、と考えています。
――教育活動や研究の成果を共有する“知の拠点”が、「トランジションセンター」なんですね。
溝上理事長: はい。そしてそれは、子どもたちに対する理解にもつながります。今、私たちは子どもたちに対してさかんに「アクティブラーニングが大事だ」と言っていますけれども、多くの保護者は、それが何かを詳しくは知りません。言ってみれば、子どもの苦労を、保護者が分かりきれていないケースもあるのです。
ならば、「保護者もアクティブラーニングを体験してみればよい」という発想で、「トランジションセンター」では、実際に前に出てきて発表をしたり、それを聞いて感じたことを意見交換してもらったり、グループごとに議論をして、その結果を全員でシェアしたり、子どもの授業とまったく同じような体験も行っています。
――それは面白いですね。子どもに対する接し方も変わりそうです。
溝上理事長: 今の時代、知識を学ぶだけでは生きていけません。そうした知識を「どう受け取るか」「どう活用するか」が大事です。そしてそれを培うのが「アクティブラーニング」です。だから私は保護者に対しても、学びと成長の機会として提供したいと考え、これもセンターの役割のひとつになっています。
――「トランジションセンター」では本当に多彩な講座や研修が行われていて、全国から参加者や聴講者が来られているそうですね。
溝上理事長: 私自身、これまで日本全国の大学、高校、中学、小学校の指導をしてきましたので、ここに学校関係者を集めて研修をすることも多くあります。
――私立の学校に公立の先生も集まるのでしょうか。珍しい印象ですね。
溝上理事長: 私学の理事長が公立の先生方にセミナーをするというのは、多分ほかには無いと思います。でも私としては、こうやって研修をすることで、全国をリーディングしていくような学園を作ろうと思っているので、「視察に来たい」という声があれば公立も私学も関係なく積極的に受け入れています。
130万人が暮らすこの地域に、総合学園として役立っていきたい
――「トランジションセンター」を介して地域の方との交流機会も増えたかと思いますが、今後は地域に対して、どのような取り組みをしたいとお考えですか?
溝上理事長: これまでも地域とコラボレーションをして行うイベントなどはありましたが、「それが一体何を生み出しているのか」という部分を大事にしたいと考えています。
本学園はどの駅からも少し離れているので、よく「便が悪い」と言われてしまう学校ですが、私はそれはちょっと違うんじゃないかな、と思っているんです。
というのも、実は「130万の人口」に囲まれていると捉えることができるんです。青葉区を真ん中に見て、都筑区、緑区、麻生区、町田市を含めると約130万人の人びとが暮らしています。確かに、遠くから通った場合には「便が悪い」場所ですが、この地域に住んでいたらバス1本、あるいは自転車で来られるわけです。
そういう場所にある学園ですから、私たちはもっともっと、地域を重視して、地域に対して役割を果たしていくべきだと考えます。この地域の課題や、地域の人たちの発展を、学校としてともに関わりながら考えたいと思っているんです。そのような考えで取り組んでいたら、そのうち学校に返ってくるものもあるだろうと思います。
「130万」というのはすごい数字なんですよ。そこには、知的な刺激も社会の課題も山ほどあるんです。私たち専門家、専門的知識など提供できるものが沢山あります。それを活用して、地域問題の解決に向けたお手伝いもできるでしょう。それでも足りなければ、全国から専門家を呼べるだけのネットワークを我々は持っています。
――学校と地域をもっとうまく結んでいけば、地域の問題も解決できる…ということでしょうか。
溝上理事長: そうですね。自分たちだけでできないことも、「つながる」ことで可能になる。そういう意味では、桐蔭のような「総合学園」はすごく魅力的だと思っています。私たちはそこを上手に活用して、この「トランジションセンター」を窓口にしてより広く深く地域とつながり、さまざまな課題に地域の方とともに、取り組んでいきたいと思っています。
私学ならではのフットワークで、地域との関わりを変える「トップバッター」に
――溝上理事長が考えられる、学園と地域の、未来のビジョンをお聞かせください。
溝上理事長: お話ししてきた通り、今までは「私学」というセクターが「地域」に関わるということは、そもそも発想が無かったんですね。でも実は、明治時代まで遡ってみると、私学は日本社会の発展に大きく貢献していました。
大学は一番わかりやすい例ですが、昔の大学、いわゆる旧帝大や官立の大学でカバーできなかった部分は、私学が補ってきました。たとえば、中央大学は今でも法曹養成の私学の雄ですけれども、これはかつて、帝大、官立だけでは法曹界の人材を養成できなかったところに、私学が社会の人材育成に貢献した好例だと考えられます。女子教育に関しての津田塾大学も同様に、官で育てられなかった女子の教育を担ってきました(ちなみに戦前の帝国、官立の大学は男子校でした)。つまり昔から、「補完」や「先進・気鋭的」といった分野を担ってきたのは私学だったんです。
他方で、学校が明治の再編期の地域づくりに重要な役割を果たしていたということも、教育史の中でもよく言われる重要な知識です。たとえば「運動会」はかつて地域のお祭りでした。それが子ども達の運動会となり大人も参加し、町内対抗の性格を取り入れていった。それにより、ある〇〇町の地域アイデンティティが大人に意識されるようになりました。江戸時代とは異なる明治期の新しい再編「地域」を住人の新しいアイデンティティにしていったのは、学校だったのです。
そういったところまで紐解いて、学校と社会、今でいえば地域、というものを考えていけば、やれることはたくさんあるはずです。そして、それをフットワーク軽くできるのは私学だと思っています。
――この流れが「桐蔭モデル」「青葉区モデル」として、全国に広がっていけば面白いですね。
溝上理事長: 広がっていきますよ。事例が積み上がっていけば一気に動き出すと思っています。桐蔭学園はそのトップバッターになりたいですね。これからもどんどん変わっていきますので、ぜひまた取材に来てください。
――楽しみにしています。溝上理事長、今日はありがとうございました!
学校法人桐蔭学園
溝上慎一理事長
所在地:横浜市青葉区鉄町1614
電話番号:045-971-1411
URL:http://toin.ac.jp/
※この情報は2021(令和3)年12月時点のものです。
“地域と学校”の関係に変革をもたらす、あざみ野から望む桐蔭学園のビジョン/桐蔭学園(神奈川県)
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https://toin.ac.jp/