創業60年以上。大正時代に“民藝品”と称された美の世界を頑なに守る「備後屋」/店主 岡田芳宗さん
都営地下鉄大江戸線「若松河田」駅、出口を出て大通り沿い歩いて1分の場所にある、「Folk-Crafts Shop」と大きく描かれた白いビル。古くから今に残る、“民藝品”を専門に扱う店「備後屋(BINGOYA)」。地下1階から地上4階までのフロアには、所狭しと様々な民藝品が並べられている。最近は雑誌などで紹介されることも多く、若い人も含め多くの人が訪れるスポットとなっている。今回は、「備後屋」の店主である岡田芳宗さんに、店のこだわりやこの街の魅力などについてお話を伺った。
大正時代に作られた造語「民藝」。それは、“暮らしのなかから生まれた美の世界”。
――まず、「備後屋」の経緯を教えていただけますか?
岡田さん:この店は私の父が創業しました。備後地方は畳の産地だったもので、祖父や祖母がそちらで畳屋を営んでいたそうですが、1955(昭和30)年前後に父も一緒にこちらに移ってきたそうです。しばらくは、敷物みたいなゴザを売っていたようですが、間もなくして、焼き物や郷土品を扱うようになったようです。
30年代も終わりの頃、最初の店では手狭になってきてこのビルを建てました。それ以降は、変わらずこの雰囲気でやっています。
――お父様には思い入れのある作家の作品などはあったのでしょうか?
岡田さん:当時は、特別に“どこそこの作家の作品”という感じではなく、民藝品が当たり前にあった時代でした。色々なものが生まれてきた時代でしたからね、種類も豊富にありましたから扱うものもどんどん増えていきました。ですが、昔と違って今はもう作れなくなったものが増えていて、当時の3割ほどしか残っていないのではないでしょうか。これも時代を反映しているんでしょうね。
よく、“民藝屋”と“骨董屋”を勘違いされる方もいらっしゃって、うちは民藝屋ですが、「古いものを扱っているんじゃないか」と思わることがあります。ですが、うちでは古いものは一切扱っていません。今、作られているものだけを扱っていますよ。
そもそも「民藝」という言葉は、柳宗悦が大正時代に作った造語です。“暮らしのなかから生まれた美の世界”を持つ品々を「民藝品」と称したことが始まりなのです。
昔からあり今も残る、日々使用する品を並べ、お客様に選択を委ねる
――取り扱いが豊富ですが、セレクトの基準はあるのでしょうか?
岡田さん:実は、特に“セレクト”といったことはしていないのです。よく“セレクトショップ”とか“誰々がプロデュースした店”といったものもありますが、それは「民藝品」とは違う方向性だと思うので、そうしたことは一切したくないのです。創作的なところは入れずに、日常的に作られているものの中から選んでいく、という目線を大切にしています。“私が選びました”というよりは、お客様に選んでいただくという気持ちですね。
「民藝品」の産地といいますか、そういうのは日本中どこにでもあるわけではなく、東北や山陰、九州、沖縄などに集中しています。物ができる土壌とでもいいますか、焼き物なら適した粘土が取れて寒くない場所であったり、竹細工であれば材料の竹が育つ土地に北限があったりもします。色々な風土や気候などの制約があって、それぞれの「民藝品」の特徴が出てくる、そうした土地柄みたいなものを大切にしたいので、残っていても形が変化してしまったものや作家性が強くなったものは、うちでは仕入れないようにしています。
頑固に見えてしまうかもしれませんが、この方針に合わないものは頑なにお店はには置きません。「これを扱ってほしい」と色々なものを持ち込んでくる人も多いのですけどね。
――時代を経ていく中で、残っているものは少なくなっているのですね。
岡田さん:作り手側も、だんだんと世代が変わってきて、意識も変わってきていますからね。作り手は時代に合わせていきますから、私たちのこうした思いと違う方向へ向かっていってしまうこともよくあります。そうなると、方針とずれてきてしまうので、その商品は扱えなくなってしまうのです。
それなら復元するのかというと、それはまた別の世界になってしまいます。全く別の人が作ったり、似せて作ったり、プロデュースしたりして企業的なものが入ったり、となると全然違うのです。うちで扱うものはあくまで継続しているもの、それでいて正しい系統というか、そのものの背景をきちんと継承しているものが良いのです。
若い人の間でも注目を集める「民藝」の心
――先ほどから、店には比較的若い方が多くいらっしゃっていますね。
岡田さん:10数年前までは中高年の方が多くいらしていましたが、最近は、20代から30代くらいの若い方が多くいらっしゃいます。「Casa BRUTUS(カーサ ブルータス)」という雑誌がありますが、そこで以前「民藝品」特集が組まれた際に紹介されたのです。その特集は、柳宗悦さんの長男であり工業デザイナーの柳宗理さんが「民藝品」をデザイナー的な観点で紹介したもので、それがきっかけで若い方が訪れる機会になったのではないかと思います。
うちは自ら力を入れて宣伝はしていないのですが、ガイドブックに載っていたり、色々な方が紹介してくださったりしているので、それを見て来てくださるお客様も多いですね。
ただ、うちで扱っているものは興味のある方とない方、その温度差がどうしてもあります。大多数が好むものではないですが、好きな方は一度店に足を踏み入れると長時間見てくださいますし、その中には外国人の方もいらっしゃいますよ。
都電廃止で一時は陸の孤島に、大江戸線の開通で飛躍的に便利になった若松河田エリア
――では、若松河田エリアについて、昔と比べてどのように変わったかを教えてください。
岡田さん:この辺りはかつて住宅地でした。1970(昭和45)年頃までは都電が通っていて、その停留所を挟んで10店舗ほどお店があったくらいです。それもほとんどなくなって、今では2、3軒ほどです。
都電が廃止されてからは、代替のバスしか交通機関がなく不便な時もありましたが、最近は地下鉄ができてとても便利になりました。大江戸線が開通して、なおかつ駅が近くなったものですから、その影響は大きいですね。新宿も近いのはもちろんですが、上野方面もぐっと近くなりました。以前は30分~40分かかっていましたが、今では十数分で行けますからね。
あと、車を使ってもいろんなところに行くのに便利な場所です。繁華街に出るにも非常に便利ですし、夜でもタクシーが拾いやすいです。
――この街の魅力を教えてください。
岡田さん:この辺りは周りと比べると高台になっています。23区の中でも高台にある方で、昔は事務所の上から水平線も見えました。今は、新宿の高層ビルができて見えなくなりましたけどね。だから、水害とかの心配もないです。それに、比較的、安全な街だと思います。
あと、この辺りは医療関係の施設が充実してると思います。大きな病院だけじゃなくて、色んな開業医も結構な数があります。そういうお医者さんは、今でもどんどん増えているんですよ。小さなかかりつけ医が身近にあるのは安心ですからね。
あと出かけるなら「小笠原伯爵邸」と「戸山公園」が近くにあっておすすめです。是非、行ってみてください。
備後屋
店主 岡田芳宗さん
所在地:東京都新宿区若松町10-6
電話番号:03-3202-8778
URL:http://bingoya.tokyo/
※この情報は2017(平成29)年1月時点のものです。
創業60年以上。大正時代に“民藝品”と称された美の世界を頑なに守る「備後屋」/店主 岡田芳宗さん
所在地:東京都新宿区若松町10-6
電話番号:03-3202-8778
営業時間:10:00~19:00
定休日:月曜日、第3土曜日と翌日(5・8・11・12月を除く)
http://www.quasar.nu/bingoya/index.html