邸宅街としての歴史を重ねてきた豊かな緑に恵まれた街、駒沢に住まう
世田谷区は東京23区の南西部に位置し、多くの邸宅街を擁することで知られる。東急田園都市線「駒沢大学」駅の西に広がる駒沢エリアも「駒沢オリンピック公園」など豊かな緑に恵まれた閑静な佇まいの住宅地として人気が高い。エリア内には「駒澤大学」もあり、活気あふれる学生の街という側面も持つ。
名門ゴルフコースからオリンピックの会場になった「駒沢オリンピック公園」
駒沢エリアのシンボル的存在である「駒沢オリンピック公園」がある場所には、かつて「東京ゴルフ倶楽部」というコルフコースがあった。「東京ゴルフ倶楽部」は1913(大正2)年に井上準之助や樺山愛輔といった財界人によって設立された由緒ある倶楽部だ。摂政宮時代の昭和天皇が英国の皇太子、プリンス・オブ・ウェールズ殿下と親善ゴルフをプレーしたこともあったという。
この「東京ゴルフ倶楽部」は1940(昭和15)年の東京オリンピックのメインスタジアム予定地とされたが、日中戦争の激化に伴い東京オリンピックは中止となり、防空緑地や農地として使われた。
第二次世界大戦後、この場所には「駒澤野球場」やハンドボールコート、バレーボールコートなどスポーツ施設が続々と誕生。こうした背景から1964(昭和39)年の東京オリンピックでは第2会場として整備されることになった。
交通アクセスの利便性向上に伴い、邸宅街として発展
1907(明治40)年、玉川電気鉄道の「三軒茶屋」駅から「玉川」駅間が開通し、今の駒沢エリアは「渋谷」駅周辺と電車で結ばれることになった。交通アクセスの利便性が向上した駒沢エリア周辺では大規模な宅地開発が計画されるようになる。
駒沢エリアの西に隣接する深沢や桜新町一帯で開発された新町住宅はその代表的存在だろう。新町住宅は東京信託株式会社により1912(大正元)年から開発が始まった東京初の郊外型分譲住宅地だ。多くの桜の木が植樹され、上下水道や電灯、電話を備えたゆとりのある住宅地は文化人、軍人など富裕層に人気を博し、東京の軽井沢と呼ばれていたという。その後、周辺でも多くの住宅地の開発が進められ、今日の邸宅街の礎が築かれた。
最寄り駅は利便性の高い東急田園都市線「駒沢大学」駅
駒沢エリアを住まいの場として考えた場合、交通の利便性に恵まれていることは大きな魅力になる。最寄りとなる東急田園都市線「駒沢大学」駅からは「渋谷」駅までは約7分と短時間でダイレクトアクセスできる。東急田園都市線のほとんどの電車は東京メトロ半蔵門線へ直通しているため、「表参道」駅や「永田町」駅、「大手町」駅といった都心部にも乗り換えなしでアクセス可能だ。
「渋谷」駅でJR山手線に乗り換えれば、「新宿」駅や「品川」駅、「池袋」駅、「東京」駅など主要ターミナル駅に乗り換え1回でアクセスできることもうれしい。
大正時代に開発された邸宅街、オリンピックの会場という歴史が醸し出す風格を豊かな緑が彩り、交通アクセスの利便性も高い世田谷区駒沢エリア。ここは今も都内有数の邸宅街と言えよう。