店主 飯田敏夫さんインタビュー

新宿と神楽坂の“狭間の街”で天ぷらを揚げ続ける、創業130年以上の老舗/天婦羅 髙七(東京都新宿区)


東京都新宿区にある「若松河田」駅から歩いて5分。夏目坂通りにのれんを掲げている天ぷら屋「髙七」は、創業1884(明治17)年の老舗。コストパフォーマンスが高く、季節の味を楽しめる「元祖かき揚げあんかけ天丼」という珍しい天丼を食べることができます。奥様とともに店を切り盛りする五代目店主の飯田敏夫さんに、同店の歴史やこだわり、生まれ育った若松河田エリアについてお話を伺いました。

支店を持たず、弟子を取らず、自分で揚げる天ぷら

店舗外観
店舗外観

―創業130年以上とのことですが、お店の歴史を教えてください。

飯田さん:墓石を見ると、初代の飯田七兵衛は静岡県から出てきたみたいです。「伊勢髙(いせたか)」という仲買人さんのところで丁稚奉公して、1884(明治17)年に独立して店を開きました。「髙七」という店名は、「伊勢髙」の「髙」と七兵衛の「七」を合わせたそうです。当時は市場が日本橋にあったので、「髙七」も日本橋で営業していました。でも1923(大正12)年に関東大震災が起きて、市場は築地に移転。飯田家も築地に住処を移しますが、今度は太平洋戦争が始まって、三代目も四代目も戦地に駆り出されました。戦後、四代目である父と母がこの街に移って来たのが、1947~48(昭和22~23)年頃と聞いています。その頃お米は配給制で定食を提供できるような状況じゃありませんから、しばらくは総菜店をやっていたそうです。やっと天ぷら屋を再開できたのは、1969(昭和44)年くらいのことです。

市場の業者から贈られた、昔ながらの千社札
市場の業者から贈られた、昔ながらの千社札

―震災や戦争で大変な目に遭われてきたのに、あきらめずに天ぷら屋を再開されたのはすごいですね。

飯田さん:やっぱり天職なんでしょうね。僕自身も店を継ごうと思っていたわけではないのに、何の違和感もなくこの仕事に就いたんですよ。父が体調を崩したのをきっかけに手伝うようになるまで何の修行もしていなかったのに、不思議なほど自然な流れで。それが、代々天ぷら屋を営んできた飯田家の血なのかもしれません。

五代目店主の飯田敏夫さん
五代目店主の飯田敏夫さん

―長くのれんを守ってこられた理由は何だと思われますか。

飯田さん:代々共通しているのは、支店を持たず、弟子を取らず、店主自身が揚げること。それぞれの代で自分にしか出せない味にこだわり、他人に任せずやってきたから5代も続いているんじゃないかと思います。四代目には四代目の味が、五代目の僕には僕の味がある。

あんかけ天丼と日替わり定食が人気

カウンター越しに聴こえるシュワシュワという音が食欲をそそる
カウンター越しに聴こえるシュワシュワという音が食欲をそそる

―人気メニューを教えていただけますか。

飯田さん:アイディアなんてめったに閃くものではありませんが、10年以上前に考案した「元祖かき揚げあんかけ天丼」(1,200円)は、我ながらおいしいと思えた一品。天丼のたれをあんに溶いてとろみをつけるんですが、あまり他の店にはないと思います。半年くらい前にテレビで紹介されたとき、海外ファンも多い人気タレントさんがおいしいと言ってくれたおかげで、中国や台湾から食べに来てくれる人もいるんですよ。

夜のお品書き
夜のお品書き

―あんかけ天丼以外にも人気のメニューがあれば、教えてください。 

飯田さん:お昼は「日替わり定食」(1,000円)が定番で、8割くらいの人がこれを頼みます。天ぷらの定食にお刺身が付いてちょうど千円っていうのが頼みやすいみたいで。夜はお刺身、牡蠣、茶わん蒸し、本日の一品、天ぷら、みそ汁、ご飯、香の物がセットになった「お手頃会席」(2,800円)が人気です。本日の一品というのは、春ならタケノコを焼いたものとか、季節の総菜です。夜も千円で天ぷら定食を食べられますよ。仕入れも、仕込みも、揚げるのも僕。人件費をかけていないから、手頃な価格で提供できています。

カウンターに並ぶ持ち帰り用の商品
カウンターに並ぶ持ち帰り用の商品

―お料理のこだわり、接客で心がけていることは何でしょうか。

飯田さん:卵は使わず水と粉だけの衣で、さらっとした油で揚げています。米はうちの天ぷらに合うコシヒカリと決めています。それから、どんな食材でも天ぷらにして提供するときは「ひとくちめは何もつけずに食べてください」と必ずお伝えしています。塩や天つゆを付けると、最初に塩や天つゆが舌に当たるじゃないですか。まずは食材のおいしさを感じてもらって、それから塩をつけるか天つゆをつけるか好みで決めてほしくて。

インターネットの登場で若い客が増加

新鮮な旬の魚や野菜をカラリと揚げる
新鮮な旬の魚や野菜をカラリと揚げる

―お客様はどのような方がいらっしゃるのでしょうか。 

飯田さん:地元のお年寄りから外国人観光客まで、幅広くいらっしゃいます。昼間は近隣のサラリーマンが多いのですが、昼夜併せると女性の方が多いですね。女性客からよく聞くのは、天ぷらを家で上手に揚げるのは難しいという声。だからお金を払って食べに来ると。そういった主婦の方々からは、どうしたらこんな風にカラッと揚げられるの?なんてよく聞かれます。

江戸の風情が感じられる、歌舞伎役者の羽子板も飾られている
江戸の風情が感じられる、歌舞伎役者の羽子板も飾られている

―時代の移り変わりとともに、客層にも変化はあったのでしょうか。

飯田さん:インターネットの普及で大きく変わりましたね。学生さんとか、以前はあまり来なかった若い人が来るようになったんです。老舗の天ぷら屋という点に敷居の高さを感じる人が多かったようで、webで簡単にお客さんの感想を確認できるようになったら、そういう人が足を運んでくれるようになったんです。初めて来てくれたお客さんによく言われるのは「一度入ってみたかったんです」という言葉。だから当店にとって、インターネットの普及は本当にありがたいことでした。

引っ越して出ていく人が少ない若松河田

「髙七」がある夏目坂通り
「髙七」がある夏目坂通り

―若松河田エリアはどんな街で、どんな風に変わってきたのでしょうか。

飯田さん:この辺りはね、狭間なんですよ。新宿と神楽坂という二つの大きな街の間にある街。「東京女子医科大学病院」に加えて「国立国際医療研究センター病院」も近いし、この店から下は全部お寺だから、あまり派手に発展する場所ではないんです。それでもこの数十年の間に店が減って、大江戸線が通って、マンションが増えました。昔はこの坂を下っていったところにある東西線の「早稲田」駅しかなかったので、この通りを行き交う人は多かったんですけど、坂の上に大江戸線ができてからは人通りがぐっと減りました。電車を使う人は便利になったのでしょうね。

「若松河田」駅前
「若松河田」駅前

―若松河田エリアの魅力、この街に住んでいて良かったと思うことを教えてください。

飯田さん:ご近所トラブルもないし、顔を合わせたくないような人もいない。この街で暮らす身としてはそれが一番いい点だと思うし、暮らしやすいと感じるところです。それと、引っ越して出ていく人が少ないですね。住み心地が良いのかなと思います。

五代目店主 飯田 敏夫さん
五代目店主 飯田 敏夫さん

天婦羅 髙七

五代目店主 飯田 敏夫さん
所在地:東京都新宿区若松町36-27
電話番号:03-3202-4035
※この情報は2020(令和2)年4月時点のものです。

新宿と神楽坂の“狭間の街”で天ぷらを揚げ続ける、創業130年以上の老舗/天婦羅 髙七(東京都新宿区)
所在地:東京都新宿区若松町36-27 
電話番号:03-3202-4035
営業時間 : [火~土]11:30~14:00(LO)13:30、17:30~21:00
[月]11:30~14:00(LO)13:30
定休日:日曜・祝日