映画館・劇場・レストランによる文化の創出/ラピュタ阿佐ヶ谷 才谷遼さん インタビュー
ラピュタ阿佐ヶ谷
館主 才谷遼さん
映画館・劇場・レストランによる文化の創出
1998(平成10)年に開館した「ラピュタ阿佐ヶ谷」は、映画館・劇場・レストランが一体化した施設だ。JR「阿佐ケ谷」駅から近く、阿佐ヶ谷を象徴するこの施設には、隠れ里にたたずむ一軒家のような趣がある。宮沢賢治の「注文の多い料理店」に登場する狩人が迷い込んだ「山猫軒」と同名のレストランは、「ラピュタ阿佐ヶ谷」の独特な存在感を醸しだすことに一役買っている。「ラピュタ阿佐ヶ谷」の館主であり、長年、阿佐ヶ谷を見てきた才谷氏に街の魅力を伺った。
長いこと、阿佐ヶ谷に住んでいるそうですね。阿佐ヶ谷での生活を始められた経緯を伺えますか?
坊主頭の中・高校生の九州・大分の片田舎の少年にとって、東京の中心は阿佐ヶ谷と富士見台でした。と言いますのも、まんが家になりたいと思っていたボクにとって手塚治虫さんの「虫プロ」があった富士見台、そして同じくまんが家として活躍された永島慎二さんが住んでいた阿佐ヶ谷は聖地だったのです。
始めから阿佐ヶ谷はオソレオオかったので、30過ぎてもういいかなと阿佐ヶ谷に移ったのです。
憧れていた街で「ラピュタ阿佐ヶ谷」をオープンされました。それまでの経緯が気になるところです。
台湾人を相手にした木造の木賃宿を営んでいた茶飲みともだちのオバチャンから、土地を譲り受けることになりました。経営している出版社の四角いオフィスビルじゃあオモシロクない、どこにでもある建物では面白くないなと。
それが「ラピュタ阿佐ヶ谷」だったいうことですね?
そうですね。面白いことは何か――その結論が、日本のどこにもないオモシロイビルを建てる!でした。全ての建築物は自然を破壊する。自然と共生できる建テモノは出来ないか。森と呼応する。経済優先ではなく文学的な建テモノ。
映画館「ラピュタ阿佐ヶ谷」、劇場「ザムザ阿佐ヶ谷」、そしてレストラン「山猫軒」について聞かせてください。
往年のスターのプロマイド
映画館は、50~60年代の日本映画が中心です。その時代の映画をコンスタントに上映しているのは、当館を入れると東京に5つ位しかありません。この5施設を渡り歩いている熱心なファンも多いですね。
芝居については門外漢でしたが、街と沿線がちいさな劇場を必要としているような気がしたので。人たちがゆるやかな空間のなかでゆるやかに友人になれるような。
ランチメニュー 肉料理の一例
レストラン「山猫軒」についてですが、宮沢賢治がすきなので、別に、お客さんに注文ばかりするわけではありません(笑) 「注文の多い料理店」の作者、宮沢賢治は中野を訪ねた記録があります。でも記録にないだけで、もしかしたら阿佐ヶ谷まで足を延ばしているかもしれないなと思い、この店名をつけました。
「ラピュタ阿佐ヶ谷」の来館者についてですが、地元の方は多いですか?
“映画館は文化の灯”(『ラストショー』P.ボグダノビッチ)なので、そういう街の映画館のつもりですが、実は地元の方は1割程度です。残りの人たちは電車にのって、です。もうすこし阿佐ヶ谷の人も気軽に来てほしい。
トークフェスティバルやアニメフェスティバルを開催されていますが、参加条件などはありますか?
ありません。どなたでも参加できます。内容についても、特に制約はないので“自由”に“好き勝手”にやってもらっても。何かと制約だらけの時代ですから、せめて映画や芝居をみたりオイシイ食事をしてるときはゆるやかな気持ちになって欲しい。
「ラピュタ阿佐ヶ谷」でのおすすめの過ごし方などあれば教えてください。
日差しが差し込むロビー
芝居を観てからレストランで食事をするという楽しみ方、もしくはレストランだけ、映画館だけという利用も自由ですが、それぞれの空間を行き来してもらえるように、ちょっとでも人がホッとする空間をつくれるようにしていきたいですね。
長年、阿佐ヶ谷を見てきた才谷さんですが、街の変化などは感じますか?
ここ10年で、特に変わったように思います。馴染みのある店が閉まったり、街並みが変わったり――。若干の寂しさはありますが、これも時代の流れの中にボクラもいるということでしょう。でも変わらないモノもあってもいい。
展望や計画などありましたら伺えますか?
作品のパンフレットが並ぶ一角
「ラピュタ阿佐ヶ谷2」を建てるための土地を手に入れました。オリンピック景気で完成の目処は立っていませんが、実現したいですね。今回初の「セシウムと少女」(2015年4月25日公開)をつくりました。映画監督としての阿佐ヶ谷を舞台にした初作品には、この街に住んでいた北原白秋さんも登場します。これまで知らなかった阿佐ヶ谷を、ぜひ観てもらえたらと思っています。
最後になりますが、改めて阿佐ヶ谷の魅力について聞かせてください。
「オバケのQ太郎」が誕生したり、「風の谷のナウシカ」をつくったスタジオがあったり、多くのまんが家や作家が住んでいた(いる、現在も)阿佐ヶ谷。この街には、この街の他にはない魅力がたくさんあります。
少年時代から憧れていた阿佐ヶ谷に暮らし、仕事をしてきたなかで、たくさんのイイ思い出、ニガイ思い出が生まれました。私にとって阿佐ヶ谷は、もうひとつの故郷とも言うべき街ですね。
今回、話を聞いた人
ラピュタ阿佐ヶ谷
館主 才谷遼さん
ラピュタ阿佐ヶ谷
所在地:東京都杉並区阿佐ヶ谷北2-12-21
電話番号:03-3336-5440
URL:http://www.laputa-jp.com/
※記事内容は2015(平成27)年3月時点の情報です。
映画館・劇場・レストランによる文化の創出/ラピュタ阿佐ヶ谷 才谷遼さん インタビュー
所在地:東京都杉並区阿佐谷北2-12-21 ラピュタビル2F
電話番号:03-3336-5440
https://www.laputa-jp.com/