「大阪市立工芸高等学校」 校長 柘原康友 先生 インタビュー

歴史薫る校舎でデザインを学ぶ「大阪市立工芸高等学校」


長い歴史と風格のある校舎を持つ学校として多くの人に知られている「大阪市立工芸高等学校」。1923(大正12)年開校の歴史ある学校で、多くの著名人を輩出している。今回は、校長の柘原先生に学校の歴史や歩み、また、工芸高校という専門性の高い学校ならではの特色や、天王寺の街の魅力についてお話しを伺った。

「真実一路」を追求する工芸高校の歴史と歩み

校舎本館
校舎本館

――1923(大正12)年に開校当時の工芸高校の役割とは、どのようなものだったのでしょうか。

柘原校長:当時においては、芸術やデザインという分野の拠点はどちらかといえば大阪より東京が中心であったようにお聞きしています。当時の大阪は鉄鋼や紡績などを産業の基盤に、間もなく「大大阪(だいおおさか)」と言われる産業界の華々しい発展の到来を迎えるわけですが、そのような機運に乗って、芸術やデザインに関する教育の拠点を大阪にもつくろうではないか、という思案が浮上してきたようです。本校の設立の計画と、ちょうど時期を同じくして「大阪市立美術館」を建設する計画も発案され、大阪に芸術を中心とする文化を創造するための整備を進めようという社会的な背景があったことが分かります。そのような流れの一翼で、芸術やデザインを学ぶ実業系の学校として「大阪市立工芸高等学校」の設立に至りました。

――教育目標や目指している方向性について教えていただけますか。

柘原校長:生徒手帳の最初に『真実一路』という言葉が記されています。「感性」や、そこに通じる「心」は大人になってからも磨かれていくものですが、十代の高校生にしか体験できないこともあります。

中庭の噴水に設置されているブロンズ像「夏の海」
中庭の噴水に設置されているブロンズ像「夏の海」

開校当初は「金属工芸科」「木材工芸科」「工芸図案科」という3つの学科がありました。現在の学科名や科目とは若干の違いがありますが、設立当初から現在に至るまで、教育方針として培われていることは、デザインするだけでなく、実際に「形」としてつくり上げるまでの一貫した指導を行っており、このような教育を通じて芸術界や産業界で活躍できる人材の育成を担ってきました。『真実一路』を教育方針の根本と考え、それを実践する環境が本校にはあり、これからも、そうあり続けることが本校の方向性、さらには目標であると考えます。

――どのような学科がありますか。それぞれを簡単に紹介していただけますか。

柘原校長:本校は「ビジュアルデザイン科」「映像デザイン科」「プロダクトデザイン科」「インテリアデザイン科」「建築デザイン科」といった、5つの工業系の学科に「美術科」を加えた6つの学科を設置しています。

「ビジュアルデザイン科」は平面デザインや陶芸のクラフト制作を通じてプレゼンテーション力や総合的なデザイン力を学びます。「映像デザイン科」は静止画、動画、コンピュータグラフィックスの3つを軸とした映像デザインの基本と応用について。「プロダクトデザイン科」はモノづくりに関わる工業系デザイン。「インテリアデザイン科」は住宅、店舗などの空間デザインと、家具や小物などモノづくりのデザイン。「建築デザイン科」は人が住んだり活動する場のデザイン。建築士の資格取得の学習もします。「美術科」は美術や造形に関するものすべてを学びます。

生徒達のデッサン作品
生徒達のデッサン作品

――特に人気や注目が集まっている学科はありますか。

柘原校長:昨今の事情に関わらず、一貫して人気が高いのはビジュアルデザイン科と美術科です。ビジュアルデザイン科はポスターや広告のデザインを通じて絵や図柄を多く描き、美術科は洋画・日本画などを中心にさまざまな絵を描きます。やはり本校の生徒は基本的に絵を描くことが大好きなので、このような学科の人気が高いのではないでしょうか。また、プロダクトデザイン科や建築デザイン科には比較的男子生徒が多く、建築に携わることや、自動車をはじめ工業製品のデザインを主に手掛ける学科であることがその理由ではないかと思います。

2008(平成20)年には経済産業省近代化産業遺産に指定された校舎
2008(平成20)年には経済産業省近代化産業遺産に指定された校舎

――校舎も歴史を感じさせる立派な建物ですね。

柘原校長:94年の歴史を持つ本校の校舎は、2000(平成12)年に大阪市有形文化財、2008(平成20)年には経済産業省近代化産業遺産に指定されています。1995(平成7)年には大掛かりな耐震工事も行っていますが、外観は当時からの姿を維持しています。長い歴史と美しいデザインの、この校舎は我々学校関係者のみならず、近隣の方からの憧れの的にもなっています。それを我々の「誇り」でもあると感じていますし、これからもずっと、その誇りとともにこの校舎を後世に残していくべきだと考えています。

普通科とは違う、より実践的なキャンパスライフを紐解く

歴史と伝統を繋ぐ校舎
歴史と伝統を繋ぐ校舎

――オープンキャンパスや実技講習会などのイベントでは、どのようなことができるのですか。

柘原校長:オープンキャンパスは毎年7月、9月、11月と3回行われ、毎回400名ほどが参加されます。対象は中学生と、その保護者の方で、事前にエントリーしていただければ参加していただくことができます。本校がどのような学校なのかという説明と、各学科の説明を生徒が作ったPRビデオで紹介しています。また学内のいろんな場所で各学科のブースを設けたり、実際の授業内容の紹介や体験ができるようになっています。また、本校の受験には実技がありますが、中学生にとって実技の受験というものはなかなか想像しにくいものであるということから、実際に過去に行われた実技試験内容を紹介したり、体験したりしていただいています。

――2月には工芸高校展も行われるそうですね。

柘原校長:生徒が制作した作品を展示する展示会で、毎年約4,000人の来場者があり、生徒の努力の集大成ともいえる展示会です。また、この展示会は作品の展示のみを行っており、文化祭とは別のイベントです。もともと美しい校舎ですが、工芸高校展の開催時には展示物に溢れ、学校全体がさらに美しい装いになります。ぜひ一度お越しいただき、ご覧いただければと思います。

解放感のある中庭
解放感のある中庭

――卒業生の進路について教えていただけますか。

柘原校長:本校では、多くの生徒が工芸高校で学習した内容をさらに深めたい、という思いで進学しています。その内訳は、80パーセントが芸術・美術系学部に進学、10パーセントの生徒が就職します。また、東京芸術大学をはじめとする国公立大学などへの合格をめざし、浪人する生徒もいます。

主な就職先企業は自動車、印刷、建築、劇団の舞台担当などです。進学先からは、それぞれの専門分野を生かして就職する者がたくさんいます。例えばトヨタ、ホンダ、マツダなどの自動車メーカーに本校出身のデザイナーなどはたくさんいます。

羽ばたく工芸高校生の未来の夢。この地から。

文の里の地に根付いた工芸高校
文の里の地に根付いた工芸高校

――今後の展望についてどのようにお考えですか。

柘原校長:本校の6つの学科のうち、美術科を除く5つの学科はすべて産業デザインに関する学科です。産業デザインというのは、時代とともに目まぐるしく移り変わっていくものです。社会の変化に対応し、子どもたちに必要な知識、新しい知識を吸収させるために、学校としてどのような体制を整えることが良いのかと、常に自問自答しながらより良い学校運営を進めていきたいと思っています。そのような取り組みを行うなかで「工芸ブランド」を、この校舎とともにしっかりと守っていかなければならないと考えています。

――天王寺・阿倍野エリアの魅力について教えていただけますか。

柘原校長:私はこの街を文化に親しみやすい場所だと思っています。文教地区と呼ばれていますが、この周辺は特に高校が多く、それぞれジャンルの違うさまざまな特徴を持った学校があります。文教地区と呼ばれるのに相応しい場所だと思っています。また、新しいものから古い歴史を持つものまで、いろんなものが混在しているなかで、古い文化を大切にする意識が強いのかな、と感じます。

時計塔越しに見る「あべのハルカス」
時計塔越しに見る「あべのハルカス」

商店街や街並みにも、そういう意識を感じます。象徴的なものとして、私個人がとても好きな風景が、本校の校舎の時計塔越しに見る、「あべのハルカス」の眺めです。100年の歴史の違いのある建物が2つ並んで見えるのは、この街を象徴しているのかなと、感慨深く眺めております。

歴史薫る校舎でデザインを学ぶ「大阪市立工芸高等学校」
歴史薫る校舎でデザインを学ぶ「大阪市立工芸高等学校」

大阪市立工芸高等学校

校長 柘原康友 先生
所在地 :大阪府大阪市阿倍野区文の里1-7-2
TEL :06-6623-0485
URL:http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=h713525
※この情報は2016(平成28)年9月時点のものです。

歴史薫る校舎でデザインを学ぶ「大阪市立工芸高等学校」
所在地:大阪府大阪市阿倍野区文の里1-7-2 
電話番号:06-6623-0485
http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.p..