小田急線の車窓から杜が見える古社

経堂の街を500年以上前から見守ってきた鎮守の森


経堂駅と千歳船橋駅の中ほどに、電車から見るとこんもりと小さく盛り上がって見える、小さな森がある。ここ「経堂鎮守天祖神社」は、経堂の人々をずっと昔から見守ってきた氏神様を祀(まつ)った神社だ。その歴史は500年以上に遡れるそうで、住宅地に囲まれた今もなお、昔の雰囲気を良く残している。今回はこちらで宮司を務められている、中原正明さんにお話を聞いた。中原さんは昭和26(1951)年にこの社の宮司となった父とともに経堂に移り、以来ずっとここに住まわれている、生粋の“経堂っ子”であるということだ。

神社と経堂の歴史について話す中原さん
神社と経堂の歴史について話す中原さん

――神社の由緒、歴史について教えてください。

中原さん:最初に歴史に名前が出てくるのは、「新編武蔵野風土記稿」という文書の中です。これは江戸時代に書かれたものでして、そこには、「神社のできた年代は定かでない」と書かれていますが、言い伝えによりますと、永正4年、すなわち1507年にできたと伝えられています。昔はこの一帯に畑が広がっていて、その中にぽつんと、この神社がありました。

このあたりはもともと北条氏が支配していた地域で、そこに古くから「経堂在家村」という村がありまして、ここはその村の一角にあった神社です。かつては「伊勢宮」(いせのみや)と呼ばれていました。そのほかにも、天神社、四稲荷社の合計六社が村内にあったようですね。

明治時代になると、政府が社格制度によって神社を格付けをしたものですから、「伊勢宮」という名前は天皇関係のお社以外は使えなくなりまして、ここは「天祖神社」の名前に変わりました。全国的に、この時にお伊勢様をまつっている神社はだいたい天祖神社になりまして、戦後はもとの名前に戻った神社もありましたが、うちはそのまま、天祖神社という名前を使っています。

入り口の鳥居のところには「村社」と書かれていますが、これも社格制度の名残で、このあたりの氏神様であることを示しています。経堂在家村を見守ってきた鎮守様ということですね。ちなみに、経堂在家村はほぼ現在の経堂という地名の地区と重なっています。現在も氏子さんの大半が経堂の方ですね。

経堂鎮守 天祖神社
経堂鎮守 天祖神社

――神社の祭神、ご利益について教えてください。

中原さん:ご利益というのは特に意識していません。「地域をお守りしている」ということが中心ですので。もともとお伊勢さんをお祀(まつ)りしていますので、全体的なお守りをしていただいている、ということになるでしょうか。ただ、明治40(1907)年に神社合祀によって村の中にあったお稲荷様と天神社が合祀されましたので、天神様と言えば学業の神様ですから、そちらのご利益を求めてお参りに来られる方も多いです。

――神社で行われている年中行事について教えてください。

境内の様子1
境内の様子1

中原さん:いちばん人が多く来るのは、1月1日の11時から行っている、元旦祭です。最近ではずっと坂の下まで列ができるような状況です。元日の日は、深夜も0時から2時まで、甘酒の振る舞いを行っていまして、その時にも数百人ぐらい並びます。年間を通して見ても、年越しと初詣がいちばんにぎやかですね。

このほかですと、10月の最初の週末に行っている例祭が大きなものです。何年か前からは週末に合わせて、「10月の最初の日曜日とその前日の土曜日」としていますので、年によっては9月30日の土曜日と10月1日の日曜日になることもあります。昼間は神楽を舞ったり、お神輿を担いで町内を回ったり、ということを行いまして、その他にも、地域の方が演芸を披露したり、太鼓を叩きながら街を練り歩く、といったこともしています。

――来年から、お神輿が新調されるそうですね。

「老松」の絵
「老松」の絵

中原さん:そうなんです。来年の例祭からは、新しい、今までよりも大きなお神輿に変わる予定です。もともと、お神輿は2基ありまして、子ども用と大人用をそれぞれ担いで回っていたのですが、それも一旦は途絶えてしまって。ところが平成5(1993)年にお神輿を改修したことをきっかけに「睦(むつみ)会」という組織ができまして、神輿を復活させることができたんですね。

それを機会に、「新しい神輿を作ろう」という話が盛り上がってきまして、来年の例祭までには、新しい神輿が完成する予定です。現在の神輿は一尺六寸という大きさですが、新しい神輿は二尺という大きさになりますので、2、3百人で交代しながら担いで回る、ということになるかと思います。

――例祭以外にも行事・祭礼があれば教えてください。

柄杓
柄杓

中原さん:そのほかですと、「夏越」(なごし)と「年越」のお祓い(大祓)の儀式がありますね。年越は冬至の日に行うものですが、あまり知られていない「夏越」についても、いま、神社会では全国的に普及を進めているものですので、ぜひお越しいただきたいと思います。

夏越は夏至の日に行っていまして、氏子さんをはじめ、希望される皆さんに人型をお分けして、それで怪我や痛みのある部分を撫でていただいて、神社に持ってきていただければ、夏越の日にお祓いをするというものです。

人間は本来清い心をもっているのですが、誰もが知らないうちに罪やけがれを犯していますので、それを年に2回お祓いをして、清い身体に戻っていただこう、という意味合いがあります。興味がある方は、ぜひ神社までお問い合わせください。

もうひとつ、地域の方を巻き込んでの行事としては、1月14日のお焚き上げ、いわゆる「どんど焼き」がありますね。お札やお守りをお持ちいただければ、こちらで責任を持ってお焚き上げをいたしますので、気軽にお持ちいただければと思います。ただ、お焚き上げの公開はしていませんので、行事としては成り立っておりません。

様々な行事が執り行われる
様々な行事が執り行われる

――氏子会に入らなくても、行事には参加できますか?

中原さん:うちの場合は、地域をお守りしている神社ですので、地域に住んでいる人はみんな氏子ということで考えています。(神様を)信じている方も、そうでない方も、神様は分け隔てなくお護りしていますので、どなたでもご参加ください。

――「経堂流」というお囃子があるそうですが、これについて教えてください。

中原さん:当社には「経堂流」と呼ばれている祭り囃子の「安宅囃子」(あたかばやし)」が伝えられていますが、これは経堂で生まれた「安宅崩し」という曲目に由来している囃子でして、非常にテンポが早くて、調子が良いというのが特徴です。経堂から有名になっていって、今は隣の船橋をはじめ、いろいろな地域で演奏されるようになりました。

うちの神社では例祭の時に、お隣の稲荷森(とうかもり)稲荷神社では初午の時に演奏をしていますし、近所の六社神社のお神輿について歩いているのもうちの囃子です。本当にテンポのいい、ジャズのような囃子なので、ぜひ、聞きに来ていただければと思います。

――社殿の特徴について教えてください。

中原さん:現在使われているご社殿については、ここに建てられたのは昭和51(1976)年なのですが、実はそれ以前には、用賀神社の社殿として使われていた建物です。用賀神社が国道246号の拡張工事で建て替えられることになったため、その建物を一度バラバラにして、こちらでもう一度組み直したんですね。神明造りで、かつ入母屋造りの建物になっています。

古い御社殿については、しばらく神楽殿として使っていましたが、平成11(1999)年に新しい神楽殿を建てましたので、いまは収蔵庫になっています。いずれ新しい神輿が出来上がったら、(旧社殿に神輿を飾って)皆さんに常時見てもらえるように、旧御社殿をまたもとの高さに戻す工事をしたいな、という話も出ているところです。

境内の様子2
境内の様子2

境内の様子3
境内の様子3

――経堂エリアのおすすめの場所を教えてください。

中原さん:「農大通り商店街」は、皆さんけっこう一生懸命やっていますし、にぎわっていていいですね。反対側の「すずらん通り」という商店街もおすすめです。農大通りでは「経堂まつり」というお祭りが毎年7月にありまして、その時にやっている、阿波踊りも見応えがありますね。

――これから経堂に暮らしたいという方に向けて、メッセージをお願いします!

 

宮司 中原正明さん
宮司 中原正明さん

中原さん:この神社は駅からそれほど遠くない場所にありますが、人通りも少なく、東京とは思えないほど、とても静かな林が広がっています。いつでも自由にお参りしていただけますし、よく近くの幼稚園や保育園の子どもたちが来て、木の実探しをしているような場所ですので、ぜひ、気軽に足を運んでいただきたいですね。

今回お話を聞いた人

経堂鎮守 天祖神社

宮司 中原正明さん

※掲載の情報は2018(平成30)年12月のものになります。

経堂の街を500年以上前から見守ってきた鎮守の森
所在地:東京都世田谷区経堂4-33-2 
電話番号:03-3420-2674
http://www.tenso-jinja.tokyo/