大正時代から続く支え合いの文化が温かな街をつくる/八丁堀鈴らん 会長 小泉隆さん会」
大正時代から人々が集い、競って買い物をしたという商店街「八丁堀鈴らん通り」。古くは銀座以上の繁華街といわれ映画館やダンスホールを擁したこの界隈も、今では、平日はビジネスマンたちが闊歩し、週末は街の住人たちがのんびりと休日を過ごす街へと姿を変えた。そんな「八丁堀鈴らん会」で現在会長を務め、商店会よりも古く1920(大正9)年の創業の和菓子の老舗「西八丁堀 青柳」の三代目店主でもある小泉さんを訪ね、八丁堀エリアの歴史と魅力をお聞きした。
華やかで温かな下町商店街の風情は、世代を超えて受け継がれる
――「八丁堀鈴らん会」は1924(大正13)年から続く商店街ということですが、その歴史や沿革を教えてください。
小泉さん:「八丁堀鈴らん会」は、北は「東京証券取引所」などがある茅場町、南は「京華スクエア」のある八丁堀3丁目まで、南北約350mに伸びる鈴らん通りにある商店によって構成されています。
関東大震災以前から、湊町や越前掘に入港する船員たちが競って買い物をする大きな繁華街で、震災後は区画整理され下町の三大商店街の一つとして銀座以上の繁華街とも言われたようです。「鈴らん通り」の名称は古く、戦前からのものと聞いています。
私が幼い頃は、昭和40年代に入っても八百屋や肉屋などが軒を連ね、生活に必要なものがこの街で全て揃いました。「2」のつく日はお稲荷さんの縁日がたったりして本当ににぎやかでした。戦後間もないころには映画館や寄席もあったそうです。小さな店が肩を寄せ合って、仲良くにぎやかに商売をしていた街ですので、その温かな雰囲気は今も健在です。しかし商業地区に指定されて以降は木造の新しい建物が建てられなくなり、ビル化が進んでオフィス街のなかの商店街という風情に変化しました。
現在、加盟店は17軒。実は「八丁堀鈴らん会」としての活動は「街路灯の管理」くらいなんですが、実際は町会、青年部、消防団などさまざまな団体のメンバーが重複しているので、季節の行事やお祭り、バーベキューなどのイベントも行なっています。
――具体的なイベントとしてはどのようなものがあるのでしょうか?
小泉さん:毎年夏に行われる「盆踊り」は「京華スクエア」(旧京華小学校)の校庭を使っているのですが、昔この鈴らん通りを車通行止めにして行なっていた頃よりも盛り上がっています。1929(昭和4)年完成の旧・京華小学校の校舎は、大正から昭和にかけて活躍した建築家である関根要太郎と山中節治兄弟による設計で、昭和モダンのデザインが特徴的な校舎。その校舎に囲まれた校庭にはなんとも風情があって、夏の風物詩になっています。鈴らん会の商店もやきとり屋やドリンクなどの露店を出して、子どもたちはもちろん近隣のサラリーマンやOLさんたちも会社帰りに立ち寄ってくれます。普段は静かな街なので、集まった大勢の人を見て「八丁堀ってこんなに人がいるんだ!」と毎年驚くくらいです。
また毎年秋にはハロウィーン・パレードで鈴らん通りを練り歩くイベントがあり、毎年200〜300人の大人や子どもたちが参加しているようです。もともとは地域の保育園から始まった小さなイベントでしたが、今は商店街でもちょっとしたお菓子をプレゼントしたりと、微力ながらお手伝いをしています。
また、新しくマンションが建つと、お子さんがいれば学校からのつながりから声をかけさせてもらって「親父の会」や「自治体」「町会」などにお誘いしています。お神輿が出るときや町内のバーベキュー大会などにも気軽に声をかけますので、新しく転入していらしたファミリーなども自然に地域のイベントや行事に参加できる雰囲気があり、みなさんすぐに馴染んでいらっしゃいますね。
――商店街を利用しているお客様はどんな方が多いのでしょうか?
小泉さん:平日はビジネスマンが中心で、うちの和菓子店もビジネスマンの手土産などの利用が一番多いです。近年はマンションなどの建設ラッシュを受けて、日用品が買えるスーパーやドラッグストアがかなり増えましたので、平日夜間や週末などは周辺住民の人たちが買い物をしています。
この鈴らん通りは他の通りに比べて街灯が多く立っていますので、夜でも非常に明るくて安心して歩ける通りなんです。そのせいか女性や塾通いの子ども、ウォーキングなどをする方などもこの通りを利用することが多く、夜でも安心な街です。
声をかけ合い、お互いを支え合う古き良き文化が生きる街
――「京華スクエア」の誕生や周辺の再開発によって、街の様子や人の流れなど変化したことはありますか?
小泉さん:小さな商店が姿を消し、ビルに建て替えられた経緯は先ほどお話しましたが、近年はビジネス用のビルではなくマンション建設の方が多くなりました。理由は色々あるでしょうが、「東京」駅だけでなく、銀座や日本橋からも歩ける利便性のよさと価格のバランスがよいからではないかと思います。この辺りも以前は単身者のマンションが中心でしたが、最近はファミリー向けも増えているようですね。
中央区の人口は1997(平成9)年には7万人まで減少しましたが、現在は約2倍の14万人くらいに増えています。この鈴らん通りもひっそりとしていた時代もありましたが、現在はまた住む人も増え少しずつにぎやかになってきていると感じます。ただ商店街に活気が戻ったというよりも、住む人が増えて街が「ほんのりと明るくなった」という感じですね。
――大切に受け継ぎたい伝統などはありますか?
小泉さん:「八丁堀鈴らん会」は、もともと間口が狭い小さな店が文字通り肩を寄せ合って街を形成していました。どんな店でも住み込みの店員がいて、年末は暇をもらって帰省するため、うちの店は大晦日まで大忙しで和菓子を作って、実家への手土産を持たせたなんて話も親から聞かされましたね。今は住み込みの店員なんてどこを探してもいませんが、それでもとにかく人との付き合い・つながりは大切にする気質です。商店の若旦那たちは幼馴染も多く、横丁の誰が何をしているか全体をなんとなく把握して困っていれば手を貸し合う、そんな温かい文化が今なお健在です。それは新しく引っ越してきた人たちへも同じで、街のイベントや自治会、青年団などに顔を出してくれれば、色々な場面で声をかけお互い協力できる体制を整えています。そんな下町の「おせっかい文化」のようなものは大切にしていきたいですね。
また「日枝神社」の例大祭「山王祭」では八丁堀で神輿も出しますし、巡行路にもなっています。「神田明神」の大祭と一年交互になっているんですが、大祭がある年は街全体がなんとなくにぎやかで、ソワソワしている感じです。男性は寄り合いが増え、お酒の席もちょっと多くなるので奥さんには叱られる回数も増えますけど、祭はやっぱりワクワクしますね。
――商店街を含む八丁堀エリアの魅力や暮らしやすさはどんなところでしょうか?
小泉さん:八丁堀は銀座までも歩いて15分程度、「八丁堀」駅から日比谷線に乗れば5分で着いてしまうという近さなのに、繁華街ではなく落ち着いた雰囲気を好む人が住み暮らすには最適な街です。鍛冶橋通りと新大橋通りの幹線道路が交差する便利な場所ですが、1本内側に入ると車の音も気にならない静かさという何とも不思議な街ですね。
先ほど申し上げたように、夜でも全体的に明るく治安もよいので女性の一人暮らしでも怖くないですし、ファミリーでも暮らしやすい街だと思います。もちろん男性の一人暮らしでも、ちょっと立ち寄って食事ができるような店も多いので便利。どんな世帯、どんな年齢の方でも受け入れられる懐の深さは、八丁堀ならではです。
「八丁堀」駅には東京メトロ日比谷線とJR京葉線が通っているほか、少し歩くと有楽町線の「新富町」駅もあり、とにかく交通の便はよいので一度住んだら離れられませんよ。
八丁堀鈴らん会
会長 小泉隆さん
所在地(事務局):東京都中央区八丁堀2-14-6 (有)西八丁堀青柳
電話番号:03-3551-5000
※この情報は2017(平成29)年10月時点のものです。
大正時代から続く支え合いの文化が温かな街をつくる/八丁堀鈴らん 会長 小泉隆さん会」
所在地:東京都中央区八丁堀2-14-6
電話番号:03-3551-5000