老舗生花店としての伝統を継承し、“本物”の花を届け続ける/青山花茂本店(東京都)
ハイクラスな店が並ぶ骨董通りと青山通りが交差する地点に店を構える「青山花茂本店」は、明治に創業。高級住宅の広がる近隣エリアに住まう人々に花を届け、希少ないけばな用の花も取り扱う、国内でも随一の老舗高級生花店だ。“宮内庁御用達”というお墨付きもさることながら、揺らぐことのないこだわりを持って花を提供し続けられる理由はどこにあるのか。現在5代目代表取締役社長である北野さんに当店の歩みや魅力についてお話をうかがった。
青山の街に長く構え、多くの方に愛される老舗の高級生花店
――まずはお店の歴史についてお聞かせいただけますでしょうか。
北野さん:私の高祖父にあたる北野茂吉という者が、1904(明治37)年に創業しました。その「茂吉」にちなんで店の名前が「花茂」になりました。表参道の交差点には「善光寺」というお寺もありますが、「明治神宮」からこのあたりにかけては寺町として栄えていたらしく、まずはその門前の花屋として始まったのがきっかけになります。創業当時は、日清・日露戦争の時代だったことがあり、お参りのお客様が多かったそうです。実は創業して最初の2、3年は、店舗という店舗は特になく、お参りに来た人のための“お休み処”みたいな感じで、ベンチと箱車で、花と団子などを販売するような場所だったらしいです。その当時、周辺には同じように花を扱う商売をしている方もいたらしいのですが、その中で店として残ったのがうちの「花茂」だったと聞いています。
店としてターニングポイントになったのは、初代茂吉の息子にあたる、2代目の豊太郎の代です。当時は、麻布霞町、笄町や白金の方面へ高級住宅街が広がっていった時期でした。そこに住んでいる方たちがわざわざ青山まで足を運んでくれなかったので、豊太郎が電話を引いたんですね。当時にしてみると、電話は年間の売上と同じくらい非常に高価な品物だったのですが、その電話に投資をしたことで、高級住宅街に住んでいるお客様から電話をいただいて、お家に届ける、というスタイルができて、結果的にお客様が増えていったと。それが1920(大正9)年くらいの出来事だと思います。
そういった経緯もあり、当時から顧客層は高所得者層に偏っていました。求められる花のクオリティも非常に高く、それに合わせるように、高級な花をメインに扱う花屋になっていったというのがあります。
――高級な花を多く取り扱われているきっかけはそういう点にあるのですね、興味深いです。
北野さん:それに加えて、戦前からそういった高級な街に住んでいる奥様方の間で、いけばなが流行るようになりました。それと同時期に、現在骨董通りにある「小原流会館」の小原流さんが、神戸から東京に出てきて、そのタイミングでご指名いただいたのがうちの花屋でした。それもあり、一般のご家庭で必要になるようなお供えのお花などに加えて、いけばなのお花に関しても「花茂さんがいいわ」と、青山、麻布、白金界隈のお客様にご贔屓にしていただけるようになったということで、会社として成長していったんですね。
第二次大戦中、これはどの商売の方もそうなんですが、戦争で社員もかなり招集されていた上に、大空襲で更地になってしまったのでこのあたりの商業は一度ほぼ廃業しています。1年ほど取引は一切しないということになるのですが、お客様からは「花茂の花はないのか?」と要望がくる訳です。それに応える形で、三代目太郎の代で現在店が建っている土地を購入し、なんとか事業も再開しました。
再開した当時は、バラック小屋状態で始めたのですが、かつてからご贔屓にしてくださっていたお客様が支えてくださったり、戦争が終わって豊かな生活をできる方たちも増えてきて、また客足が戻ってきたという感じです。
先ほども、いけばなについては述べましたが、高度経済成長に合わせて、生徒さんの数がかなり増えて、毎月ある昇進試験用のお花と、その練習するのためのお花というところで、固定的な売り上げがありまして、それで、現在店舗が入るこのビルを建てることができたんです。その当時、このあたりには高いビルがなかったこともあり、花屋がビルを建てたというのは、とてもセンセーショナルな出来事だったようです。その後会社として発展を続けて5代目の私に至ります。現在はこの青山店という贈答用のギフトを展開している事業部と、いけばなだけを専門に取り扱っている東大井のいけばな事業部の2店舗で経営しています。
いけばな三大流派のひとつ小原流に選ばれ続ける誇り
――小原流をはじめとする、いけばな関係のお客さんに支えられた部分が大きいのですね。
北野さん:そうですね。いけばなの流派は数百流派あって、そのうち3大流派と言われているのが、池坊、草月、小原なんですね。その一角の小原流さんが、都内のお仕事をうちに頼んでくださいます。
いけばなの先生って、当たり前なんですけれどお花に非常にこだわるんです。一般的なお花屋さんでは手に入らないようなものも取り扱わなければいけないので、仕入れ先との連携が非常に重要になってきます。例えば、水物(みずもの)の一種である「コウホネ」という花は本当に希少なんですね。生産者がどんどん減っています。でも、いけばなの流派の中には「コウホネがないと夏のお稽古はできません」っていう流派があったりするんです。うちは幸い、先代が生産者を育てて関係性を築いてくれたこともあって、「コウホネは花茂さんにしか卸さない」っていう生産者がいてくれたりするんです。他のお店では仕入れられない品がうちにはある、というのは強みと言えると思います。
――いけばな用花材は非常に特殊ということですが、ギフトも含め、花の仕入れに関してのこだわりは?
北野さん:先ほども申し上げた通り、青山や麻布のお客様というのは、高所得者層の方が多いので、非常に目も肥えていて、失敗が許されないというか。うちの店はそういうお客様に、ずっと鍛えられてきているので、本当に最高級のものしか仕入れていないです。花市場って、ダメなものも売っているし、最高級のものも売っていて、仕入れ値で言えば、1円で仕入れられるバラもあれば、何百円かかるバラもあるんです。そういった中で最もいい等級のものしか仕入れていないので、日本でも一番クオリティが高い店と思っていただいて大丈夫です。そこは、非常にこだわりですね。このエリアならではの特性もあって、そうしなければ、お客様に満足していただけないというのがあります。
歴史が培ってきた、生産者との信頼関係
――そのために特別な方法で仕入れされているのでしょうか?
北野さん:そうですね、特に胡蝶蘭の鉢に関しては、特定の蘭屋さんからしか入れていないです。市場を通さずに蘭屋さんが直接うちに持ってきてくれます。それ以外でも、産地開拓はもちろん様々にしていて。たとえば、トルコキキョウとラナンキュラスという花は、長野のある生産者さんに売り出し中の頃から目を付けて、ずっとそこからしか買っていない時期が続いたんです。その結果、その生産者さんが非常に大きくなって、成長してくれて、いまや、日本を代表するトルコキキョウとラナンキュラスの生産者さんになったんですよ。ほかの花屋では見られないというレベルのいい花を、うちに優先的に納めてくれるという状態になっています。生産者さんとの縁を大事にした結果、優先的に卸してくれるようになったと。そういった点では他のお店には負けないですね。
うちみたいな、いいクオリティのものを必ず仕入れなきゃいけないっていう花屋さんは、事前相対って言って、セリを通さずに、言い値で事前に買い付けちゃうんです。花のセリは、売り手が出す希望価格から下がっていきます。そんなセリは、生産者としても嫌じゃないですか。だから実はセリよりも事前相対のほうに良い花が集まっています。
うちの特性として、お客様がお店で花を選んで買うというよりは、事前に電話や、ネットや、メールや、ファックスなどで予約をしてくださるケースが多いので、赤バラ100本と言われたら、100本用意しておかないといけないんです。そうすると、リスクのあるセリをやっていられないというか、事前相対で絶対に買わないといけなくて。そうすると、仕入れ値も高くなりますが、絶対にいい品物が手に入ると。そのへんの、買い方のこだわりはありますね。こんなにセリで買わない花屋も、ほかにはそうないかもしれないです。 事前相対って、生産者指名なんです。なので生産者からすると「花茂さんからすごい量の事前相対の注文が来ている」「いつも言い値で、特定の数を買ってくれる花茂さん」って思われているので、必ずいいものを入れてくれるっていう。関係性が作られているので、自然といいものが集まってくるようになっているんです。
あと、日持ちがするっていう点もお客様から評価されています。いいものを仕入れるっていうのは大前提なんですけれども、それを、長くずっとお店に滞留させておくと、結果、お客様の手元に渡った時に日持ちがしないんです。ですので、ロス率が高くなってしまうのですが、鮮度管理には非常にこだわって「花を捨てるか、信用を捨てるか」を店訓に、持たれないと思われる花は棄てます。その結果、少し他店よりも高い値段かもしれないけども日持ちする、という状態ができていると思います。
“必需品”としての花を提供し続けていくという責任
――北野さんが考える“いい花”とは何でしょうか?
北野さん:“いい花”はおいしそうなんです。レタスやキャベツを想像してみてください。シャキシャキのものと、そうでないものと、全然違うじゃないですか。色の発色もいいですよね。あとは、茎の長さと太さ。長く育ってから、太く育ってから出荷している、っていう花は強くて日持ちもします。
――店を代表する花は何ですか。また、来店される方は、どういう方が多いですか?
北野さん:バラとトルコキキョウ、ユリ、カラーですかね。それらは、年間を通じて、本当にいいクオリティのものが揃っていると思います。特にバラは、皆さん恐らく驚かれると思います。一番こだわっていますし、取扱量も多いですね。
店舗に足を運ばれる方で言うと、実は全体の売上からはわずかです。ほとんどがお届けになります。法人様だと、受付や会議室の定期花などもありますが、いちばん多いのは贈答用ですね。就任お祝い、選挙の当選お祝い、開店お祝いなど、様々なお祝い事に使われることが多いです。ご来店になられる(個人の)方は、港区や渋谷区に住まわれている近所の方が多いですが、遠くから来てくださる方もたくさんいらっしゃいます。
――継がれてみて感じる、花への思いをお聞かせください。
北野さん:「思ったよりも必需品だったな」と感じています。経済学的に言うと、花は無くても生きていけるので、贅沢品にあたると思うんですけれど、そんなことはなくて。やはりお花が無いと果たせない、暮らしのワンシーンというのはあるので、特に所得の高い人にとってですけれども、必需品なんだなと思っています。そういった必需品を供給するという責任を持ちながら取り組んでいかなければいけないなと。
継ぐ前は、もっと景気の影響を受けて経営も乱高下して…って感じだと思っていました。ところが実際に経営に携わってみると、「お花が必要だから」っていうお客様が、景気に関わらずうちみたいな専門店をご贔屓にしてくれているんだな、と感じています。そういった気持ちに応えるためにも、花の専門店という意地はずっと持ち続けてやっていかなきゃな、と意識しています。
業界、そして青山の老舗店舗としてあり続ける
――今後、新しく取り組んでいきたいことなどビジョンがあれば教えてください
北野さん:「お花なら花茂さん」と言われるよう、もっと多くの方に、花茂の花、最高級の花にふれてもらえるように、頑張っていきたいですね。僕らは“本物の花体験”って言っているんですけれど、「花ってこんなにきれいなんだよ」というのをもっと多くの方に知っていただきたいと思っています。
花屋ってどうしても仕入れ量に対するロスが多いので、小売店がなかなかうまくいかない、儲からないんですよ。だから、花屋で生き残るには、通販や法人様の顧客など、飛び道具がないと難しいんですね。そういった業界の現状が気になっているので、新しいタイプの小売店というのを作ってみたいとは思います。花を置いていなくても、花を買ってくれるような仕組みづくりですかね。花屋さんって、花をたくさん置いてないと、買ってもらえないじゃないですか。あれがかなり大変なんです。それをオペレーションで解決できればな、と思っています。老舗の花屋として業界のいいモデルになりたいですね。
――青山という街の魅力をお聞かせください。
北野さん:生まれてからずっとこの街に住んでいるので、開発などで街が変わっていく感じは非常にさみしく感じますけれど、青山っていう場所はそういう宿命なのかなと。その理由は、土地や家賃が高いからなんですけれど、仕方がないんです。だからこのあたりで生き残っていけるお店って3種類しか無くて、旗艦店として割り切ったお店か、行列のできる飲食店か、もしくは地主が踏ん張っている店か。でも、だからこそ、この街で長年に渡って商売を続けられていることは誇るべきことだと思っています。変わっていく街だからこそ、そこで踏ん張ったら価値があるかな、と思っているので。変わらない場所があったら、素敵じゃないですか。
青山花茂本店
代表取締役社長 北野雅史さん
所在地 :港区北青山3-12-9 青山花茂ビル
電話番号:03-3400-0871
URL:http://www.aoyamahanamohonten.jp/fs/hanamo/c/index/
※この情報は2019(令和元)年8月時点のものです。
老舗生花店としての伝統を継承し、“本物”の花を届け続ける/青山花茂本店(東京都)
所在地:東京都港区北青山3-12-9 青山花茂ビル
電話番号:03-3400-0871
営業時間:9:00~18:00 (日曜日、祝日 10:00~18:00)
定休日:年始3日
http://www.aoyamahanamohonten.jp/fs/hana..