デザイナーから“指物職人”へ
伝統を受け継ぎ、もの作りの枠を広げる/指物師 益田大祐さん
デザイナーから“指物職人”へ
伝統を受け継ぎ、もの作りの枠を広げる
東京の下町、墨田区菊川の一角に小さな工房を構える指物職人・益田大祐さんは、かつては江戸中に多くいた「指物師」の一人。今や数えるほどしかいなくなってしまった指物師だが、益田さんは30代と際立って若く、世襲ではなく外部から修行に入り、独立した職人ということでも注目を集めている。今回は益田さんの工房を訪ね、指物の魅力と、錦糸町エリアの魅力についてお話をうかがった。
「指物」は近年その良さが見直されていますが、まだまだ若い世代には認知度が低い伝統工芸かと思います。まず、指物の特徴についてお教えください。
「指物」の語源は「物差しで計って正確に作る」ということと、「差し込んで作る」ということから来たと言われています。簡単に言えば、「釘を一切使わないで作る家具」ということになりますが、家具というよりは、「道具」という感覚のものですね。もともと指物自体は京都の発祥でして、「京指物」が有名なんですけれども、大名や将軍など、身分の高い人向けに作っていたものなので、実用性よりは「権力の象徴」ということで、美しさを重視したものが多くなっています。
それに対して、「江戸指物」は京指物が江戸に入ってきたもので、江戸の初期には、商人など、ある程度お金のある方が使っていましたが、江戸中期ごろになって歌舞伎が盛んになると、歌舞伎役者さんの道具入れなどにも使われるようになりまして、その伝統は今でも続いています。そのほか、お茶道具、書道道具などの入れ物や、薬箪笥などにも使われましたし、それ以外にも幅広い形や用途のものが作られました。
昔は職人も多かったので、それぞれの専門分野もあったそうなのですが、どんどん職人が少なくなっていく中で、今は何でも作れる職人だけが残っているという状況になっています。職人で作る「江戸指物組合」というものがありまして、私はまだ正組合員ではなくて、親方の弟子として入っているんですが、そこに所属している職人さんは全部で10軒だけになっていまして、そのうち半数以上は60代後半以上の職人さんになっています。
ほかの伝統工芸と比べても、かなり職人さんの数は少ない業界なのでしょうか?
そうですね、今は弟子を育てることも非常に難しくなっていますので。昔は旅館や料亭には必ず、くず箱や姿見があって、それを指物師の弟子が作っていたんですが、近年はそういったものも無くなりまして、同じものを幾つも作る機会もなくて、弟子を取ったとしてもやらせる仕事が無いんです。私もまだ弟子ですけれど、8割方は受注生産の品を作っています。
益田さんは外部から弟子に入られたそうですが、指物師を目指したきっかけや、それ以前のご経歴についてお聞かせください。
私は台東区の「渡辺」というところで勉強させていただいたんですが、私みたいに外部から入って弟子になった人は、それだけでも珍しいんですが、大抵は数年で弟子を辞めてしまうそうです。なので、独立開業したというのは珍しいそうで、「戦後の丁稚奉公の時代以降、初めて弟子から独立した」と言わました。墨田区の指物師は、今では私一人だけです。 きっかけとしては、もともと家具のデザイナーを目指していまして、工業デザインの学校から家具屋さんに就職して、デザインをやったりしていたんですが、大きなところですとやっぱり、技術的に機械優先になりますから、デザインを出しても「うちの機械ではこの形はできない」、「コストがかかりすぎて商品化できない」ということが多かったんです。
でも、ちょっと難しいことをやってほしいという時には、60歳を過ぎた職人さんにオーダーして加工してもらっていたりしたんですね。40代、50代の職人さんになると、もう鉋(かんな)さえ使えない職人さんが多いんです。そういう場面を見て、「こういう技術を学べるのは、今の時代が最後なんじゃないか」と思ったんですね。
技術を身につけると決めてからは、ヨーロッパに行くことなども考えたんですが、色々と見た中で、ある程度家具を勉強していた自分でも、どうやって作っているのかが分からなかったものが指物だったんです。最初は「技術を身につけよう」という考えでこの世界に入りましたけれども、やっている中で、下町の文化とか、江戸っ子のこだわりとかが、だんだんと面白くなってきたんです。「モノ」だけではなくて、周りの環境だったり、歌舞伎の文化だったり、お茶の文化だったり、職人同士の仲間の文化だったり、やっぱり、「文化」を含めての伝統工芸なんですね。
「渡辺」では丸7年間修行をしたんですが、30歳を目前にした時、「そろそろ勝負したいな」と思いまして、最初は埼玉で、友人のお父さんの工務店の一角を借りて指物を作り始めたんですね。それから2年間ぐらいは、親方の仕事をもらって埼玉でやっていました。
そのうち浅草の頃からお世話になっていた墨田区の先輩職人の方から、「埼玉で指物はねえだろう。墨田に指物師がいなくなったから、お前来いよ」という感じで言われまして、現在に至っています。ここに来て、墨田区伝統工芸保存会に入ってからは、5年目になりますね。
7年間の弟子生活ということですと、やはり大変な面もあったのではないでしょうか。
私も、生まれは東京でも西のほうだったので、こっち(東側)に来て、最初はびっくりすることの連続でした。自分の親方じゃない親方に買い物を頼まれるなんて事はしょっちゅうですから、「なんで俺、こんなに親方じゃない人にまで使われているんだろう?」って思っていましたよ。でも、それがだんだんと心地よくなってくるんです。みんな家族みたいな感じなんですよね。ですから、下町の“輪”に入るのはちょっと大変かもしれませんけど、入ってみると、楽しさのほうが大きいです。
益田さんは外部から入り、独立したタイプの職人さんですが、代々続いている職人さんとの違いは何だと思われますか?
それぞれ一長一短があるんですが、代々続いていると、「抱えているもの」が大きいんですね。親方から言われていることを崩しちゃいけない、という使命感があったり、お店をやっていると、店のイメージというものも背負うことになります。でも、僕のような職人は何をやっても自由で、僕ひとりの責任ですから。周りの先輩に「お前はやりすぎだ」と言われることもありますが、自己責任で、自由にやらせてもらっているという面はありますね。
家を継ぐのか、伝統工芸を継ぐのか。その辺りの感覚の違いというものは感じます。大多数の職人さんは、家を継ぐという方ですから。中には、子どもに後を継がず、自分の代で終わりにするという職人さんもいます。かと思えば、僕みたいに外から入ってくるという場合もありますしね。
ですから僕のような立場だと、新しいことにも取り組みやすいんですが、どっちかに偏ってはいけないと思うんです。新しいことだけをやっていくと、どうしても伝統の部分が疎かになってしまいますので。ですので、明確に「伝統のもの」と「新しいもの」を分けて考えて、その時々でウエイトは変わると思うんですけれども、どっちかを捨てるんではなく、両方とも大切で、「こっちがあってこっちがある」という、バランスを大事にしていきたいですね。
今は一般の方が指物に触れる機会も減ったと思いますが、展示即売などの機会もありますか?
昔は百貨店の家具売り場にも置いてあったんですが、いまはほとんど無いですし、「江戸職人展」のようなイベントも少なくなってしまいましたから、なかなか常設で置いてある場所は少なくなってしまいました。ですからこういった職人の工房に出向いたり、私などは墨田区のイベントなどがあれば入れてもらったりしていますので、どうしてもそういった機会になってしまいますね。
私の商品に関しては、私が修行していた時に知り合った方が「SyuRo(シュロ)」っていうセレクトショップをやっているんですけれども、私が独立する時に彼女も店をオープンしまして、「じゃあ、何か指物の技術を使って、何かシュロさんのアイテムを作りましょうか」っていうことで、相談しなから決めたものが幾つかありまして、それはシュロさんの店舗でも扱っています。
シュロさんとのコラボ商品には、どのようなものがあるのでしょうか。
シュロさんとの作品は、「現代にある木の小物を、指物の技術を加えたらどうなるか」ということで考えて作りました。ブックマークに使えるような木のクリップ、赤ちゃんのガラガラ、お箸、鍋敷き、ペーパーウェイト、名刺入れなどがあります。
ガラガラなどは「木目をきれいに繋ぐ」という指物の技を使っていて、どこから中身の小石を入れたか分からないようになっています。機械で切ると歯の厚さが3ミリくらいはあるので、合わせた時にどうしても木目がズレちゃうんですが、指物で使う薄いのこぎりだと、ほとんどズレが無いんです。江戸っ子は、木目がズレると縁が切れるっていうことで、嫌がっていたそうなんですね。デザインとしても、木目が合っているとすごく自然ですし、そういう細かいところが、江戸のデザインなんだな、と思います。
若い方にとっては「指物」っていう言葉自体が分からないですし、昔ながらの製品を見ても、「ああ、時代劇で見たことがあるな」という程度の感想にしかならないでしょうから、こういった手軽な木製品を通して、指物の魅力に気づいてもらえると良いですね。そういった目的が合致して、開店からシュロさんとは仲良くやらせていただいています。
ほかにも、若い職人さんを集めたユニークな取り組みをなされているそうですね。
はい。今年になってから、墨田・台東の若手の職人を中心にして、10名で異業種のグループを作って、「どうやって伝統工芸の良さを伝えていこうか」っていうことを相談しています。代々の職人の家系と、外から入ってきた人とがちょうど半々で混じっているんです。
グループの名前は『もの「型」り』と言うんですが、「型を継承する」という意味と、「物の中に“物語”を付けられるものを作ろう」ということでやっています。やっぱり異業種の職人が一緒にやるほうが、いろんなアイディアも出てくるんですよね。職人さんには切子、市松人形、飾りかんざし、手ぬぐい屋さん、江戸小紋、木彫、ブラシ屋さん、足袋屋さんなどがいますけれど、「切子があるから、これに合う入れ物を指物で作ってほしい」とか、そういう形で一緒に商品を作ったり、意見を交換したりしています。僕と同じ30代の職人さんが中心なので、感覚が近いんですよね。いずれはコラボ商品なども展開できれば良いと思っています。
最後に、錦糸町エリアの魅力について教えてください。
住んでいる人にとっては静かな地域で、人通りも車通りも少ないので、生活するにはすごく快適な街だと思います。交通の便もけっこういいんですよ。都内に向かっていけば日本橋の浜町や、銀座へもすぐ出られますし、ちょっと歩けば浅草へも行けます。
この辺りについて言えば、近くに立川(たてかわ)という川があるんですが、この川沿いには昔、銘木屋さんが多くありまして、銘木屋さんが閉じた後には、機械屋さんが増えて、自動車の部品などを作っていたそうなんですね。最近はそれもどんどん少なくなっていまして、マンションが増えてきていまして、街の雰囲気も変わりつつあります。今後そういった、伝統文化や歴史をうまく利用しながら、楽しめるような町づくりをできれば良いんですけれどね。
マンションを買われる方だと子育てをされる方も多いと思いますが、ちょっと行けば木場公園などの広い公園もありますし、良い環境だと思いますよ。散歩していても近所のおばちゃんが話しかけてくれたり、危ないことをしていたら怒鳴って叱ってくれるおじさんがいたりします。それが下町の良さなんでしょうね。
今回、話を聞いた人指物師 益田大祐さん指物益田 ※記事内容は2013(平成25)年10月時点の情報です。 |
デザイナーから“指物職人”へ
伝統を受け継ぎ、もの作りの枠を広げる/指物師 益田大祐さん
所在地:東京都墨田区立川4-6-5
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