2人のプロ野球選手の原点/昆陽里タイガース(兵庫県)
「伊丹市立昆陽里小学校」で活動する少年野球チームの「昆陽里タイガース」。40年以上の歴史を持つチームは、これまで数々の大会で輝かしい成績を収めてきた。また、現在プロとして活躍する田中将大選手と坂本勇人選手の出身チームとしても知られている。今回は理事長の山崎三孝さんに、チームの概要と、少年時代の田中選手と坂本選手のお話しをお伺いした。
昆陽里タイガースの発足について教えていただけますか
1967(昭和42)年に「伊丹タイガース」として発足し、1977(昭和52)年に伊丹市の各校区に1チームずつという決まりができ、学校名をとって今の「昆陽里タイガース」に名称が変更されました。私は1985(昭和60)年から監督一筋でやっておりまして、理事長としては8年目になります。チームは大体40名くらいの人数で推移し、多いときで60名くらいですね。2019年3月現在の生徒の数は48名になっています。タイガースという名称は、おそらく、創設した人が「阪神タイガース」のファンだったんでしょう(笑)。ここに入部したい子どもは、「伊丹市立昆陽里小学校」に入学することが条件になっています。クラブ間で引き抜きがあってはいけませんので。
練習のスケジュールはどうなっていますか
練習は火・水・木曜日に行っています。子どもたちは、学校の授業が終わって一度帰宅してからもう一度グラウンドに集まってきます。土・日曜日と祝日は、練習試合をしたり、朝から練習を行っています。どこのチームもそうなんですが、グラウンドの確保には苦労していますね。今はグラウンドを使うクラブ活動が増えております。お年寄りのグランドゴルフや大人のソフトボールなども小学校のグランドを使います。計4団体で小学校のグラウンド使用の割り振りを行いますので、使用できない場合は近くの河川敷などで練習をしております。土・日曜日は、ほとんど毎週活動していますよ。
会費はどのようになっていますか?
月の会費が2,000円、合宿積立金が1,000円、それとおやつ代として200円。あわせて3200円が月々の会費になります。合宿は年1回、兵庫県内で行っています。グローブやバット、スパイクなどは各自に用意してもらいますが、4年生以下はスパイクなしで運動靴でも構わないということでやっています。後援会からのお祝い金や、協賛してくれる方もいて、大変助かっております。
大会はどのように実施されていますか?
主なものとしては、年に5つの大会があります。学年ごとに大会があるので、3年生から6年生の各学年に5大会づつがあるということですね。過去の戦績としては、伊丹大会の優勝をはじめ、西日本大会でベスト4に入ったのが最高になりますね。その時は、最終的に優勝した沖縄のチームに負けてしまいました。昨日、ちょうどベスト4に入った生徒が大学を卒業したという挨拶に来ていたんです。
生徒募集はどのようにされていますか?
年に3~4回ほど野球教室を開いています。最近行った教室は、小学校の3年生以下の児童と、近くの公立幼稚園の子どもを対象に開き、早速4人の入部希望者が来てくれました。野球教室は年間のスケジュールの中にあらかじめ組み込みますが、大会の都合や、連盟本部のスケジュールに合わせて柔軟に変更することもあります。教室で行う内容は、保護者の皆さんがいろいろ考えて決めてくれています。
保護者の方の協力体制はかなり充実されているようですね
保護者によるお茶出しを当番制にすると、毎回決まった人数しか来ず、熱中症の発症など万が一のハプニングがあった時には人手が足りなくなる恐れがあります。ですのでうちはあえてお茶当番というものを廃止にしていますが、皆さん率先してやってくれているので助かっています。今日も朝の8時に学校へ来て、周辺のゴミ拾いなどもしてくれていました。ゴミの清掃活動もボランティアでやってくれたりしていますね。試合に勝つとチームで祝勝会をあげることもあるのですが、その際は感謝の気持ちも込めて家族の皆さんもお呼びしています。子どもたちにとっても祝勝会はモチベーションになっているようです。
地域のイベントに参加することはありますか?
小学校では、地区社協(地区社会福祉協議会)による夏祭りと秋祭りを行っており、これに毎年、参加しています。保護者の方々が中心となってやってくれていまして、野球部OBの方が16~18名ほどおりますので、その人たちも後援会としての出展をしてくださっています。タコせんべいを作ったり、輪投げなどいろいろなゲームを企画して取り組んでくれています。近くの「山田神社」のお祭りにも参加しておりまして、子どもたちが神輿を担ぐことも恒例になっていますね。
昆陽里タイガースは、読売ジャイアンツの坂本勇人選手、米メジャー・リーグのニューヨーク・ヤンキースでプレーされている田中将大選手の出身チームとして有名ですね。山崎さんがお2人を直接ご指導されていたのでしょうか
もともとそうなのですが、「昆陽里タイガース」では、一つの学年に監督がつき、3年生から6年生までずっと見ていくことになっています。それがたまたま、坂本と田中の一つ上の学年が4名、一つ下も4名しかいなかったんです。彼らの学年は16名いましたので、いろいろ組み替えて、12名ずつのチーム2つで構成しました。その際に父兄会を開いて指導者を募り、応募した方に預けたんですね。ただ、やっぱり私じゃないといけない、ということになり・・・(笑)。再び私が監督することになり、2人を最後まで見続けました。
実際2人を近くで見られて、特別なものが当時からあったのでしょうか?
実は、すごい選手というのは、坂本、田中ともう一人いたんです。その子が走行守のすべてで100点でした。坂本もこれに近いものがあったのですが、田中は「走」は90点くらい。今でも走るのは苦手みたいですね。ただ、心技体とよく言いますが、坂本と田中は、とにかく「心」が強かった。人よりも前に一歩出るタイプの子どもでしたね。この3人ともう一人が最終的に野球の強豪校に進んでいます。
坂本選手は当時、ピッチャーをされていたと聞いております
5年生の頃に、先ほど言ったすべてが100点だった投手の子が骨折をして投げられなくなってしまいました。大きな大会に行くとダブルヘッダーの試合が多くなるのですが、良い投手が一人いても、もう一人いないとダメなんですね。これはどうしようかと考えたときに、能力の高い坂本をピッチャーに回すことを決めました。それまでは坂本はショート一筋です。だから、彼がピッチャーをしたのは6年生になってからなんです。ただ、4月からピッチャーを始めて6月くらいまでは大したことなかったんです(笑)。内野手投げでしたから良く打たれましたね。8月ごろから良くなったんですが、悲しいかな、4・5・6月というのは、伊丹の県大会の予選なんですね。県大会までは進むことができましたが、残念ながら2試合目で負けてしまいました。
田中選手は当時はキャッチャーをされていたのですね
小学校4年生のときに、これもその骨折をした能力の高い子が関連するのですが、その子のお父さんと田中選手のお父さんと話をしました。2人とも肩が良かったんですが、田中をピッチャーに、もう一人の子をキャッチャーに持っていきたいという打診したんです。ですが、その子はピッチャーなのを喜んでいるので、このままやらせてあげたいということになったんです。田中選手のお父さんはどっちでも良いという感じだったので、なら極端にキャッチャーの投げ方をさせずに、すぐにピッチャーができる投げ方をさせていたんです。だから田中選手のお父さんからは「あの時に監督がキャッチャーの投げ方をさせなかったから今がある」ってお話をされますね。今の田中選手のピッチングフォームは後ろが小さいんですね。宝塚ボーイズ(中学時代)に進んだとき、そこの監督さんがすぐにピッチャーに持っていける投げ方だったと話していましたね。そんなこともあり田中選手はキャッチャー一筋だったんです。ただ、休憩時間にはお父さんと投球練習をしていました(笑)。逆にもう一人の子はキャッチャーで大成すると思っていました。実際、キャッチャーで野球の強豪校に進学しています。
子どもたちに野球を教える中で、何を感じ、学んで欲しいと考えていますか
挨拶運動というものがあります。うちのチームに入った子どもに徹底的に教育するのは、挨拶をすることなんです。グラウンドに入る前には、必ず一礼をさせます。誰かがグラウンドに入ってくれば、必ずみんなが大きな声で挨拶をします。いつも言うのは、グラウンドには全然関係のない人は来ない。みんな「昆陽里タイガース」に関係する人ばかりなので、しっかり頭を下げなさいということです。そして、道具を大切にすること。それにグラウンドは駆け足で動く。これをずっと言い続けていますね。下級生は85点~90点くらいですが、皆しっかり100点になって6年生になり卒業を迎えます。
最後に、昆陽里エリアの魅力、この街にこれから住む方にメッセージをお願いします
工場などが少なくキレイな街だと思います。新しい新興住宅がたくさん建ってきていますし、若い人も多くなっています。それに、どこに行くにも便利。神戸に出るのも、大阪に行くのも、空港に行くのもすべて一つの電車で乗り換えなしで行くことができます。アクセスの便利さは魅力だと思いますね。子どももたくさんいますので、イキイキとした街だと思います。
昆陽里タイガース
理事長 山崎 三孝さん
※この情報は2015(平成27)年4月に実施したインタビュー内容をもとに、2019年3月に加筆・修正したものです。
2人のプロ野球選手の原点/昆陽里タイガース(兵庫県)
所在地:兵庫県伊丹市